浄正寺の石仏(荒川区荒川)
JR常磐線(上野東京ライン)の三河島駅の北にある浄正寺は浄土宗の寺院。山門から本堂の間には数多くの石仏がある。ほとんどが墓石だが、江戸時代のものが多く見どころも多い。創建は文亀3年(1503)というからまだこの辺りにはほとんど人が住んでいない時代だろう。三河島の地名の由来の一説に三つの川が交わる場所であったというのがある。三つの川は隅田川の支流だろうか、詳しいことは分からず。
山門から本堂まではそこそこ距離があり、植栽の間に見え隠れするいくつもの石仏を楽しみながら進む。本堂の手前左にブロンズの観音像がある。「三河島観音」と呼ばれる観音像である。
60年余り前の昭和37年(1962)5月3日、常磐線三河島駅構内で貨物列車が脱線し、そこに上野発松戸行の電車がぶつかって脱線。ところが今度は上りの取手発上野行の列車が線路上を非難する松戸行の列車から降りた乗客たちを次々と轢死させながら、先の2編成の脱線列車に追突するという史上まれに見る悲惨な事故である。この事故では160人もの人命が失われ、以後国鉄はATS(自動列車停止装置)の整備を進めるようになった。私も小学校に上がる前だがこの事故と30年後の信楽鉄道の事故はよく覚えている。
さて、多数の石仏があるがほとんどが墓石と書いた。しかしこの三界万霊塔として立つ舟型光背型の地蔵菩薩像は庚申地蔵である。造立年は寛文6年(1666)10月と古いもの。尊像右には「若有衆生造立仏像本仏心来入於像中」とあり、左には「奉待甲(庚)申一国一人得往生其国衆生皆往生」と刻まれている。
植込みの中にあった石仏の中で、この舟型光背型の聖観音菩薩像は墓石でない可能性が高い。造立年は寛文11年(1671)6月と書かれており、中央が戦災によるものか中折れしている。その下の方には多くの願主名の痕跡があるが、熱火によるものだろうか溶けて摩滅したようになっていて読み取れない。
場所 荒川区荒川3丁目53-1
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