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2023年4月 4日 (火)

善養寺境内の石仏①(江戸川区東小岩)

少し前に善養寺参道の石仏を紹介した。真言宗の寺院である善養寺は大永7年(1527)に山城醍醐山の僧が当地へ下向し、草庵を結んで創建したと伝えられる。江戸時代には幕府にも認められかなり大きな寺院になったようだ。南の参道からアプローチすると豪壮な赤い仁王門が出迎えてくれる。

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仁王門をくぐると正面には影向(ようこう)の松が広がり、その向こうに本堂が見える。本堂の右手前には小岩不動尊の不動堂があり、左には庫裏を兼ねた影向伝が並ぶ。仁王門の並びの塀沿いには四国八十八ヶ所の霊場があり、西側にも不動門がある。山門が南と西にあるのは珍しい。

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影向の松は国指定の天然記念物。推定樹齢600年というから室町時代の初期から生きているわけである。樹種はクロマツで、東西31m、南北28mに広がり、四国にある岡野松と並んで東西の横綱とされている。訪問時は桜吹雪が影向の松に降りかかり、なかなかの風情であった。

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不動堂の脇に無縁仏塔がある。無縁仏塔の左右側面には丸彫の地蔵菩薩像が3体ずつ、計6体で六地蔵を成している。これは無縁仏塔とは呼べないかもしれないと思ったのは、この六地蔵菩薩は台石に「奉造立供養六地蔵尊」とあり、「二世安楽所」と書かれているのでもともとの六地蔵である。造立年は享保16年(1731)9月とある。

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無縁仏塔の頂上にある舟型光背型の地蔵菩薩像にも「奉造立地蔵菩薩法印〇〇」とあり、造立年は享保5年(1720)5月と刻まれている。下部正面の中心となる存在の丸彫の地蔵菩薩像がおそらく主尊なのだろうが、こちらの紀年は見当たらなかった。

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無縁仏塔の右には舟型光背型の阿弥陀如来像がある。これは上部に日月があり、右下には「奉造立庚申待結衆二世安楽」とあることから庚申地蔵である。造立年は天和2年(1682)9月と書かれている。右の板碑型の三界万霊塔は文化5年(1808)5月のもので、下部には蓮が描かれている。1800年代の板碑型は珍しい。

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さらにその右に進むと上部が欠損した舟型光背型の地蔵菩薩像ともう一基舟型の地蔵菩薩像がある。左の頂部が欠けた地蔵は元禄15年(1702)2月の造立で、右肩のところに「奉供養庚申待二世安楽祈処」とあることからこれも庚申地蔵である。右側の地蔵菩薩には、「為地蔵講中十三人菩提也」とあり、右側には享保8年(1723)6月の造立年が刻まれている。

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その向かいにあるのがこの舟型光背型の地蔵菩薩像で、こちらは宝永2年(1705)9月の紀年が刻まれており、下部には僧侶の名前らしきものが書かれている。何の地蔵菩薩なのかは分からない。善養寺にはこれ以外にもまだまだたくさんの石仏があって、楽しい時を過ごすことが出来た。

場所  江戸川区東小岩2丁目24-2

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