治兵衛稲荷の庚申塔(江東区北砂)
江東区北砂にある治兵衛稲荷はかつてこの地が治兵衛新田だったことからの社名である。治兵衛新田村だった頃は村の鎮守で、この治兵衛新田を開発した治兵衛という人が京都の伏見稲荷から分霊して慶安年間(1648~1652)に創建したと伝えられる。
境内が1mほど高いのはこれまでの水害と関係があるのだろうか。神社はこじんまりとした敷地だが、どことなく歴史を感じさせる。鳥居をくぐってすぐにさりげなく水道受けにされている水鉢を見て驚いた。
手水鉢には寛政5年(1793)5月と造立年が書かれている。「治兵衛新田氏子中」という文字が左側にある。この230年前の水鉢を普通の水受けとして使っているところが庶民らしくていい。価値を知る人が皆に知ってもらおうと文字を赤く染めているのだろう。
本殿の左側奥にやや大きめの平成16年(2004)に建てられた堂宇がある。堂宇の中には新しい丸彫の地蔵菩薩と駒型(と思われる)の庚申塔が祀られている。庚申塔は上部が欠損しているがおそらくは空襲によるものだろう。この辺りも昭和20年(1945)3月の東京大空襲では焼け野原になったところである。庚申塔の上部が欠損しているので日月の確認はできないが、青面金剛、邪鬼、三猿が描かれている。脇に立つ石柱には「この庚申塔は享保初期のもので神社わきの大師道に建立されていましたが、昭和21年境内に移されました」とある。庚申塔の側面には享保3年(1718)9月の紀年が刻まれている。
場所 江東区北砂3丁目21-11
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