善養寺境内の石仏⓶(江戸川区東小岩)
善養寺仁王門をくぐり本堂にお参りを済ませ、影向の松と江戸川寄りの石仏を拝したのち、再び仁王門前に戻り大師堂に挨拶。真言宗であるからとうぜん弘法大師(空海)である。仁王門の脇に立て札があり、四国八十八ヶ所の巡拝の御利益があるという新四国遍路道に入る。その手前には一基の駒型の庚申塔が立っていた。
庚申塔の造立年は享保3年(1718)9月。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されている。紀年は右側面に年が、左側面に月日が大きく彫り込まれている。庚申塔の先の遍路道にはいると数えきれないほどの石塔石仏がずらりと並んでいる。反対側の出口の脇には鐘楼があり、その先には仁王門とは別の西側の山門である不動門がある。
善養寺は真言宗の寺院であるとともに「小岩不動尊」としても知られている。なぜ不動尊がクローズアップされるのか、成田不動との関係が深いのかなど少し宿題。「小岩不動尊逆井道向石造道標」「市川向石造道標」が江戸川区の文化財として記録されているが、善養寺参道の石仏の項で触れている。
不動門の前には江戸川周辺にはしばしばみられる「浅間山噴火横死者供養碑」がある。天明3年(1783)7月に浅間山が大噴火を起こした。富士山の宝永噴火から3/4世紀が経った頃のことである。山麓では山津波が起こり、多数の犠牲者の遺体が利根川、江戸川を流下してこの地にも流れ着いた。下小岩村の人々はそれを丁寧に埋葬し、寛政7年(1795)の十三回忌にこの供養塔を建てたものである。昭和30年頃からこの石碑は行方不明になっていたが、昭和47年に寺内で発見されここに再建された。
不動門から道路に出る手前に大きな木造の堂宇があり、覗いてみると3基の石仏が祀られていた。左端にあったのは駒型(角柱)の庚申塔で、正面上部に日月、その下に大きく「青面金剛」と彫り込まれ、台石には「庚講」とある。側面に紀年があり、文政8年(1925)2月の造立。
中央は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている。側面には寛政2年(1790)10月の造立年が大きく刻まれている。三猿は比較的珍しい横向きである。右端手前の上部ががっつり欠損しているのは馬頭観音である。馬頭部分も削られてしまっている。側面を見てみたが紀年は確認できず。欠損がなければかなり秀逸の馬頭観音かと思う。
場所 江戸川区東小岩2丁目24-2
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