子安庚申堂(江東区大島)
東大島神社が空襲で焼失した地域の神社を纏めて戦後に創建されたが、そのうちのひとつが子安稲荷神社でかつては平方村の鎮守であったらしい。その名残が今も残っていて、町の一角に子易児童遊園という小公園がある。戦前はここに稲荷神社と池があったようだ。平方村の歴史がこの神社の言い伝えに残っており、江戸時代初期に摂津の枚方より移住してきた人々が開拓した村とされている。枚方が平方となった訳だ。
庚申堂の脇にある石碑にはこの庚申堂を近年建てた時のことが書かれており、昔のことは記されていない。ただ立派な堂宇で、平方村から来た人々が坂東の片田舎で繋がりを保つために様々な講中を作り、その一つが庚申講中だったのだろう。堂宇内には黒っぽい石の駒型庚申塔が祀られている。
日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、台石にある造立年は正徳2年(1712)7月、平方村中の銘もある。刻まれている願主名は7人銘ほどで、苗字があるので開拓もそれなりに成功したのだろうか。小名木川が近く、番所から本所方面への舟運にも絡んでいたかもしれない。子安稲荷神社の創建年代は開拓の進んだ万治年間(1658~1661)で、猿江神社(江東区猿江2-2-17) が兼務していたらしい。
場所 江東区大島8丁目19番地先
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