東大島神社の庚申塔(江東区大島)
都営新宿線東大島駅と大島駅の間にある神社で、大島(おおじま)地区東部にあった永平稲荷神社・子安稲荷神社・小名木稲荷神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社の五社が昭和24年(1949)に合併し東大島神社が創立した。というのもこの辺りは昭和20年(1945)3月の東京大空襲で焦土と化してしまった為で、石仏にも破損部分が多い。
戦後の神社ではあるが、鳥居や燈籠は戦前のものが使われている。わかっている範囲では合併前の小名木稲荷神社は天正年間(1573~1592)の創建、子安稲荷神社は平方村の鎮守で、現在の小名木川北岸の小さな村だった。境内の南西角に祀られた石仏石碑はかつての記録のようにまとめられている。
写真の六角石塔は、水の神様である岡象女命(みつはのめのみこと)、山の神様である大山祇命(おおやまつみのみこと)、道の神様である猿田彦命(さるたひこのみこと)、芸能の神様である天鈿女命(あめのうづめのみこと)、土の神様である埴山媛命(はにやまひめのみこと)の五神と文政6年(1823)立秋の紀年が刻まれている。
すぐ近くには上部が大空襲で欠損してしまった駒型の庚申塔も祀られていた。造立年は天明7年(1787)年11月で、紀年は左右側面にある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており、青面金剛の左手にはショケラもある。この庚申塔はもともとは南本所牛嶋神社にあったものとされている。南本所というのは神社の東側、現在は大きな団地やマンションがあるエリアで、江戸時代は「南本所出村」とあることから明治時代に南葛飾郡から本所区に編入されたころの地名の名残りであろう。台石には願主名も刻まれている。
場所 江東区大島7丁目24-1
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