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2023年5月16日 (火)

旧安田庭園の石仏(墨田区横綱)

両国国技館の北にある旧安田庭園は、元禄年間に綱吉の生母桂昌院の実弟本庄因幡守宗資(むねすけ)の下屋敷として拝領。本庄宗資は後の茨城県の常陸笠間藩藩主だが、中央に「心」字をかたどった池を配置し、隅田川の汽水を引いて汐入の庭園として完成させた。明治時代には安田財閥創始者安田善次郎の邸宅だったが、没後は東京市に寄贈された。

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池の向こうにあるコンクリート壁の建築物は刀剣博物館である。元々刀剣博物館は渋谷川支流河骨川の源頭にあたる参宮橋と初台の間にあった。2018年にこちらに数倍の規模の建物を立てて引っ越してきたが、刀剣女子のブームの影響もあるのだろうか。

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刀剣博物館から見ると心字池の対岸には築山があり、その麓に駒留稲荷がある。安田邸の頃は屋敷稲荷だったのだろうか。神社手前右(写真の右下)の手水鉢は寛政12年(1800)2月の造立年が刻まれている。稲荷の前には駒止石という大きな岩があり、その謂れが書かれている。徳川家光の時代、寛永8年(1631)の隅田川大洪水で、旗本阿部忠秋が馬で川を横切り被害調査をしてこの岩に馬と止めて休んだというもの。その後駒止稲荷が置かれたようだ。

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築山の上には大きく三猿を描いた手水鉢がある。欠損した向こう側の面には▢化6年正月と書かれている。おそらくは文化6年(1809)だろう。その向こうの角柱は何かの供養塔だろうか、享和3年(1803)8月の造立年がある。それぞれかなり傷んでいるが、江戸時代のものがさりげなく置かれているのは面白い。

場所  墨田区横綱1丁目12-10

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