富賀岡八幡宮の石仏(江東区南砂)
江東区南砂にある富賀岡八幡宮は深川の富岡八幡宮の元宮。富岡八幡宮はいろいろと有名で、神主の身内の殺人事件が起こったのは2017年のこと。しかし深川の八幡様として江戸時代から庶民に慕われている神社である。その富岡八幡は元々ここに在ったのを寛永年間(1624~1643)に深川に移転、跡地を元八幡として現在に至る。
江戸時代は海岸に立つ神社であったが現在は海岸は遥か沖合まで埋め立て地で広がり、そこに出来たのが昭和を想起させる夢の島である。安藤広重作の『砂村元はちまん』でその風景を見ることができる。本殿の後ろに回り込むと、いくつもの石仏石碑と富士塚がある。
2基あるものの対っぽくない燈籠は享保8年(1723)9月の建之で古いもの。施主若者中とあるが、江戸時代の青年団のようなものだろうか。中央のおむすび型自然石の巡拝塔は文政2年(1819)7月のもので、月山・湯殿山・羽黒山の巡拝供養塔。右の大きな自然石の石塔は昭和9年(1934)3月の出羽三山供養塔である。
本殿真裏の富士講富士は立派なもので、江戸時代末期の天保年間に山吉講という富士講が築山したもの。この富士塚は元々北30mほどのところに土山として築かれたが、昭和8年(1933)の水害で崩壊してしまったので、昭和37年(1962)に今の場所にコンクリートで固めて再建された。
砂町富士塚の裏側(東側)の参道に1基の庚申塔が立っている。元々は駒型だろうか、日月は見えないが、青面金剛像と邪鬼が確認できる。造立年は宝暦6年(1756)▢▢吉日とあり、月は不明。かなり摩滅が進んでいる。
場所 江東区南砂7丁目14-18
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