金剛院の石仏(豊島区長崎)
豊島区長崎、西武池袋線椎名町駅のすぐ北にある金剛院は真言宗の寺院。創建は不詳ながら江戸中期に現在地に移転してきたという。隣りには長崎神社もあり、駅前とは思えない静かな環境になっている。当然ながら金剛院は別当寺。
写真奥の山門をくぐると金剛院の境内になる。左ののぼり旗が並んでいるのは長崎不動尊。その後ろのビルの左の森が長崎神社である。長崎神社はかつての長崎村の鎮守で、金剛院は中野にある宝泉寺の末寺であった。
山門をくぐると、不思議な石碑とその後ろにならぶ2枚の板碑があった。手前に「指し石」という立札があった。古代の日本では、占いの為に石を持ち上げ天に差し出して吉凶を占ったという。こんな大きなものはとても持ち上げられない。後ろにある板碑は、金剛院の説明によると、永享12年(1440)6月のもの。左が阿弥陀三尊像、右は阿弥陀如来の線刻が描かれている。
板碑の向かいには無縁仏塔があり、その頂上にある主尊がこの舟型光背型の聖観音像。造立年は宝永5年(1708)11月で、「奉納大乗妙典六十六部」「四国西国秩父坂東」「武州豊嶋郡長崎村寛心」とある。すぐ近くにはドラえもんの像がありその後ろに神々しいブロンズ?の像がある。「まんが地蔵」というらしい。トキワ荘にちなんだもの。
山門近くには2基の庚申塔と1期の馬頭観音があった。右の大きなものは以前には長崎3丁目の観音堂にあったもの。笠付角柱型で「奉供養庚申講中二世安楽所」とかかれその下に三猿が陽刻されている。正面左右の下部には多数の願主名が刻まれており、造立年は元禄15年(1702)9月とある。左の笠付角柱型の庚申塔は元から寺にあるもので、日月、青面金剛像、二鶏、三猿が描かれている。こちらも多数の願主名が刻まれている。造立年は宝永4年(1707)11月である。後ろの自然石の馬頭観世音は明治14年(1881)5月のものである。
山門前にある長崎不動尊の門前にも古い舟型光背型の地蔵菩薩像があった。造立年は寛政五8年(1796)8月とあり、「念仏供養」「北・下板橋道、南ほりのうち道」という文字が見られ、道標として立っていたと思われる。江戸時代には南北に村道があり、金剛院はその要衝だった。南に行くと堀ノ内妙法寺、北に行くと中山道の仲宿である。
場所 豊島区長崎1丁目9-2
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