清澄庭園の石仏(江東区清澄)
東京メトロ門前仲町駅と都営新宿線清澄白河の間にある清澄庭園は都内にいくつかある一般公開された大名庭園の名残りのひとつである。入園料は150円(65歳以上は70円)と安く静かでのんびり散策できる。江戸時代は紀伊国屋文左衛門の屋敷だった所を、江戸時代後期には下総関宿藩と下総宇都宮藩の藩主の下屋敷となって、おそらくは関宿藩の久世家の庭園として築庭されたものだろう。
明治時代になると三菱財閥の岩崎彌太郎が別邸として購入。回遊式庭園を完成させた。関東大震災で設備は壊滅状態になったが、岩崎家は敷地の一部を東京市に寄贈し庭園公園となった。池にはスッポンが沢山棲息しているようで、イシガメやクサガメと一緒に甲羅干しをしている。
庭園の南東に築山がありその近くに石仏群として複数の石仏が集められている。何となく琉球の亀甲墓(かーみなくーばか)に似ている。これらは岩崎家が築庭したときに出土したと説明板にあるが、時代は様々である。中央の大きな阿弥陀如来は僧侶の供養塔で墓標のようである。造立年は延宝7年(1679)7月。左手前は馬頭観世音座像で、安永3年(1774)2月の造立である。右側にある板碑型の庚申塔は上部が半分欠損している。造立年は寛文10年(1670)と古く、三猿とその下に蓮華が描かれている。
左後ろ、馬頭観音の陰にあるのは正面に「庚申塔」と書かれ、台石に三猿が陽刻された文字塔の庚申塔である。造立演んは文化12年(1815)10月と刻まれている。江戸時代のものだが紀伊国屋文左衛門時代だとすると享保年間(1716~1736)の江戸文化最盛期で時代が前後する。掘り出された状況が不明なので、元はどうだったのか皆目見当がつかない。
場所 江東区清澄3丁目3-9
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