平野神社の石仏群(足立区平野)
足立区平野にある平野神社。屋敷神のような小さな神社である。もともとは50mほど北にあった庚申堂がもとで、現在の境内に神社が出来たのは昭和39年(1964)と極めて新しい。しかし由緒は江戸時代、享保5年(1720)に平野郷の守護として住民の祀るところとなっている。
平野は村々の飛地の集まりであったので、鎮守というものがなかった。ここから南は小右衛門新田で小右衛門稲荷神社があり、北の栗原村には栗原氷川神社が鎮守となっていた。神社のない時代を何世紀も経てきた平野の人々が庚申様を集めて庚申堂を立て平野神社として祀ってきたが、庚申様は神様ではないという意見が出て、昭和56年(1981)に伊勢の猿田彦神社から神様を勧請して平野神社が出来たという変わり種の神社である。
神殿と玉垣の間に石仏がいくつも並んでいる。一番手前にあるのは角柱型の読誦塔である。上部に「奉読誦」とあり、その下に「普門品一千部供養塔」と書かれている。造立年は弘化4年(1847)7月。左の駒型で不動明王が印刻されているのは成田山供養塔で、こちらは文久2年(1862)9月の造立である。
石仏群の中央には角柱型の庚申塔がある。上部に日月、正面には大きく「青面金剛」とあり、下部に三猿が彫り込まれている。造立年は文化14年(1817)正月とある。左側面には「平野講中」と書かれている。
その先の2基はともに庚申塔。右の庚申塔は上部に日月、中央に「青面金剛」とあり下部には三猿。造立年は安永4年(1775)3月である。正面脇には「講中八人」の文字もある。左の少し小さい庚申塔は時代が遡り享保年間(1716~36)のもの。中央に「奉▢養庚申二世安楽」と書かれているが年は欠損していて読み取れない。左には10月とあり、「同行十二人」の文字もある。下部には三猿が彫り込まれている。
場所 足立区平野1丁目6-7
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