富岡八幡宮の庚申塔(江東区富岡)
日本語の地名や命名は日本人でも分からないくらい微妙な違いがあることがしばしば。四谷と四ッ谷(駅名はツが入る)、市谷と市ヶ谷(これも駅名はツが入る)、丸ノ内と丸の内(地名はので地下鉄はノ)など枚挙にいとまがない。富賀岡八幡宮(とみがおか:江東区南砂)と富岡八幡宮(とみおか:江東区富岡)もそれに似ている。ただ規模は富岡の方が大きい。
富岡八幡宮は江戸時代に富賀岡八幡宮から深川に移った経緯で、かつての場所は元八幡(富賀岡八幡宮)と呼ばれ、こちらは深川の八幡様と呼ばれてきた。宮司の身内殺人事件で世間をにぎわしたのもこちらの神社である。しかし江戸時代から町民市民に親しまれてきた八幡様で、そんな事件はどこ吹く風で賑わっている。
大鳥居をくぐってすぐ左手に、尊敬する伊能忠敬の像がある。佐倉から江戸に出てきて門前仲町(当時の黒江町)に居を構え、寛政12年(1800)にここ富岡八幡宮から蝦夷地への旅が始まった。御年50歳の時である。おそるべし人物だと思う。
本殿の右手に回り込み、七渡神社(弁天様)の端の手前に針塚と並んで大きな板碑型庚申塔が祀られている。正面中央には大きく三猿が陽刻されており、その下には願主名と思われる記述が並んでいる。その他の文字は判読できないが、下部には蓮華が描かれている。1983年に区の文化財に指定されているが情報は少ない。江戸時代初期のものだろうと思われる。
場所 江東区富岡1丁目20-3
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