墓地前の庚申塔(豊島区長崎)
長崎公園の北側から東に延びる古道には、保健所通りという南北の道との辻に観音堂がある。その先をさらに東に進むと、100mほど先の辻にまた小さな墓地がある。その墓地の角に屋根付きの堂宇があり、2基の庚申塔が祀られている。
都内を網羅するように歩き回って感じるのは、こういう路傍の石仏がある街は優しい街だということである。お金をかけて祀っているわけではなく、近所の人々の心で支えられている感じがとても強い。明治時代の地図にもここには墓地の印がある。当時の地名は「西原」と言ったらしい。東に進むと谷端川を渡って長崎の金剛院に繋がっている。
2基の庚申塔、右の笠付角柱型の庚申塔は延宝8年(1680)正月の造立年がある。日月、青面金剛像、三猿、二鶏が陽刻され、右側面には「奉供養青面金剛二世安楽攸 寄進 成真 奥」と刻まれている。左の小さい方は舟型光背型の庚申塔で、寛文2年(1662)の造立。月については欠けていて不明。「奉供養庚申待二世興樂所 敬白 嶋田」と書かれている。辻にある路傍の石仏だが、都内でもかなり古い時代のものである。
場所 豊島区長崎3丁目29-22
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