出世子育地蔵堂(豊島区千早)
池袋を流れていた谷端川という河川は有楽町線の千川駅あたりからいったん南へ流れ、西武池袋線の椎名町駅をパイロンのようにして180度流れを変え北流していた。かつてはこの川のカーブの内側の舌状台地に多くの人家があり、この辺りを地蔵堂と呼んでいた。
今は町の一角に地蔵大菩薩御堂と書かれた数坪の境内を持つ地蔵堂がある。もともと長崎という地名は九州の長崎とは無関係で、小田原北条氏の家臣であった長崎次郎高重がこの辺りを拝領していたことに由来している。かつては千早町1丁目44番地先にあったという地蔵堂だが、今の場所でいうと少し西の城西大学附属高校のあたりである。
堂内の地蔵は殆ど拝観できないが隙間から写真を撮らせていただいた。丸彫の地蔵菩薩のようだが、戦災で傷ついたのか顔には補修の跡が見られた。100年以上前に金剛院に預けられていたが、昭和50年(1975)にこの地蔵堂を建立してここに移したようである。造立年等は分からないが江戸時代は間違いないだろう。
境内には自然石の馬頭観世音菩薩もある。こちらは大正14年(1925)10月建之と刻まれている。上部に馬頭観世音が陰刻(線刻と点描)で描かれている。また植込みの中には「舗石建立塔」なるものがあり、下部には道標が刻まれていた。こちらは寛政13年(1801)2月の造立と書かれていた。
場所 豊島区千早1丁目23-3
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