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2023年7月31日 (月)

谷戸稲荷神社の石仏(調布市国領町)

調布市の旧甲州街道沿いには興味深い場所が極めて多い。布田駅前交差点の常性寺前から200mほど東に橋本石材という石材店がある。石仏などを作っている石屋さんである。その裏手に入っていくと駐車場があり、そのさらに奥まった、かくれんぼしているような場所に稲荷神社がある。

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谷戸稲荷神社というが、祠の手前鳥居の下の入口は施錠されている。鳥居の右下に角柱石塔がある。これは念仏供養塔で、造立は文政6年(1823)3月とある。「奉唱講一萬遍供養」とある。他の石仏も同様だが、以前は他の場所に在ったが、橋本石材店に預けられここに安置されたらしい。先日訪問時はさらに境内が狭くなっており、石仏の堂宇の位置が変わっていた。

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堂宇の中には右から、寛延元年(1748)10月造立の駒型庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、「奉講中 国領村 庚申供養 名主谷戸▢▢清 年番四人 講中十六人」とある。中央の丸彫地蔵菩薩は資料によると享保年間(1716~36)のものらしいが、基壇の文字などが資料とは異なっておりよくわからない。左の少し欠損した駒型の庚申塔は正徳5年(1715)11月の造立。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉造立庚申供養二世▢満祈攸敬白」とある。

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堂宇の前にある板碑型の石塔は資料には載っていない。造立年は文字が欠けていて不明だが11月というのが読める。「奉読誦大乗妙典一千部」「下布田村 施主新井五郎兵衛」の銘が読める。

場所  調布市国領町1丁目19-13

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2023年7月29日 (土)

円福寺の石仏(調布市国領町)

旧甲州街道を常性寺より少し東に歩くと、街道の南側に円福寺の入口がある。わかりにくいが入口に御影石の円福寺と書かれた石塔が立っている。円福寺は浄土真宗の寺院で創建年代は不詳。鎌倉時代に北条泰時(『鎌倉殿の十三人』の主役の嫡子)の舎弟が鎌倉の切通しに創建したと伝えられる。その後多摩川沿いに移り、江戸時代初期に現在地に移転したらしい。

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山門を入るとすぐ右手に堂宇があり、丸彫の地蔵菩薩立像が祀られている。台石には「奉▢立地蔵大菩薩」とあり、天明5年(1785)10月の造立。「武州多摩郡国領村 願主念西」の銘がある。

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その左隣には、六地蔵があるが、造立年は分からない。ただ基壇に書かれた祀られた故人の命日は、右から、天保2年(1831)、安政4年(1857)、文久2年(1862)、安政2年(1855)と万延2年(1861)、文久元年(1861)と明治2年(1869)、明治2年と3年(1869/1870)とある。江戸時代末期の没年だが、何度か再建された可能性もありそうである。

場所  調布市国領町1丁目10-11

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2023年7月27日 (木)

常性寺の石仏(調布市国領町)

京王線布田駅の北、旧甲州街道と三鷹通りの交差する布田駅前交差点の北東角にある真言宗の常性寺。境内には調布不動尊があり参詣者が多い。常性寺の創建は不詳だが、鎌倉時代に多摩川沿いに創建したと伝えられる。慶長年間(1596~1615)に現在地に移転してきた。境内の調布不動尊は成田山新勝寺の不動尊を勧請したもの。

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山門手前左には新しい念仏車がある。やはりこの手のものは古い方が良い。境内はとてもきれいで、正面奥に本堂があり、左の三鷹通り側に調布不動尊、右側には一眼地蔵堂がある。入れ替わり地蔵堂に入ってお参りする人が続いていて感心した。

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地蔵堂脇の植込みの中に舟型光背型の庚申塔が立っている。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、右側に「奉供養庚申」とあり、左には元禄16年(1703)の造立年が刻まれている。資料によると子の植込みには駒型の庚申塔(元禄10年(1697)11月)があるはずなのだが、そちらは見当たらず。庚申塔が入れ替わった?といささか混乱。

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地蔵堂の前にあったのが舟型光背型の地蔵菩薩像。寛文3年(1663)2月と造立年は古い。「本願主常性寺奉加象九拾六人 国領村」と刻まれている。

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少し山門側に戻ると大仏様のように鎮座した丸彫の地蔵菩薩があった。こちらも寛文3年(1663)2月と古いもので、背中に「念仏称衆同行四十人」「奉造立地蔵二世安楽攸 国領村 施主 谷戸市右エ門」と刻まれている。

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堂宇に収まった特別扱いの馬頭観音菩薩がある。角柱型で、造立年は文政7年(1824)8月。正面には馬頭観世音が陽刻されており、裏には「国領村 発願主 法全」とある。基壇には多数の願主名が刻まれている。

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山門寄りの植込みにはもう一基の角柱型の馬頭観世音菩薩があった。こちらは比較的新しいもので、明治30年(1897)4月の建之と書かれている。明治から大正にかけては馬頭観音も多数造られているが残っているものは多くない。

場所  調布市国領町1丁目2-8

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2023年7月25日 (火)

多摩川白衣観音(調布市多摩川)

京王多摩川駅から線路沿いに多摩川に向かって歩くと土手に達する。ここは昔、菅(すげ)の渡しという多摩川の渡し船があったところ。対岸の矢野口、菅と調布とを結ぶ重要な渡場であった。菅の渡しの最後は昭和48年だったという。

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渡し場はかつては駅のようなものだから、この辺りも随分と賑わったのだろう。そんな場所に小さな境内のような敷地があり、そこに立派な堂宇が立っている。多摩川白衣観音というのぼり旗が多数立てられていた。

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堂宇内にある丸彫の観音像は見た目かなり新しいものと思われた。調べてみると開眼供養が昭和26年(1951)9月に行われている。元は榎観音という名で知られ「玉川榎観音」というのが本来の名称らしい。大映通りと調布南高校正門前の道路の交差点にあったのを道路拡幅で昭和62年(1987)に移設したとある。現地から300m余りの場所で特徴のある道路と中央の榎で記憶に残る場所。

説明書きの中で、明治40年(1907)8月の多摩川の洪水で石仏が流れて来たのを住民が保存していた。それを有志がその榎の場所に設置したという。それ以来榎観音というようになったようだ。元の場所には石仏はないが、榎が御神木として護られている。

場所  調布市多摩川5丁目37-19

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2023年7月23日 (日)

郷土資料館の庚申塔(調布市小島町)

調布市の郷土資料館は京王相模原線京王多摩川駅から少しだけ歩く。入館料は無料である。2階に上がると滝坂の入間川護岸工事中に発掘された文明3年(1471)の板碑(上部欠損)など貴重なものが陳列されている。

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また周辺では庚申講がかなり盛んだったようで、庚申講中の際に用いられた小道具がいろいろと展示されていた。中に入間村仲台地区の庚申講中で用いられた道具と掛軸があり、平成7年(1995)の会合が最後になったと書かれていた。

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集まりの際に架けられた掛軸が興味深い。青面金剛は左手にショケラを下げ、その前には四天王、脇には左右に童子が並び、足元には邪鬼が踏みつけられている。手前には三猿がそれぞれうずくまった様子は、当時の民間信仰としては極めてクオリティの高いものであった。

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庭に出てみると、正面玄関の右手奥に庚申塔が3基並んでいた。一番奥は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄。造立年は天保11年(1840)2月とある。右の駒型庚申塔は中折れを補修してある。日月、青面金剛像、三猿の比較的シンプルな図柄。造立年は正徳5年(1715)11月である。この2基は元々調布稲荷(国領町4-12)にあったものが、一旦中央公民館に移されたのち、ここに移設されたらしい。調布稲荷は今も同じ場所に在る。

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手前にあったのは比較的最近移設された駒型庚申塔。菊野台1-32-21から移設されたとあるので、現在キテラタウンというショッピングセンターがある入口あたりか。昔ボーリング場があった周辺である。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、造立年は享保12年(1727)12月。「奉建立庚申供養 武州多摩郡 府中領金子村」の銘がある。資料によると台石には「昭和7年に甲州街道の工事で移転」「昭和37年に甲州街道の工事で移転」と二度の移転をしたのちに、平成26年(2014)5月に郷土博物館に移された。

場所  調布市小島町3丁目26-2

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2023年7月21日 (金)

常楽院の石仏(調布市西つつじヶ丘)

つつじヶ丘駅の南西にある常楽院は天台宗の寺院。天平勝宝年間(749~757)の創建と伝えられるが不詳。江戸時代には上野不忍池付近にあったが、第二次大戦後に現在地に移転した。

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本堂回りはこじんまりとしている。墓所は道路を渡った反対側に広がっている。境内には丸彫の地蔵菩薩像があり、造立年は寛政12年(1800)10月。基壇に「三界万霊」とあり、脇には武刕多摩郡金子村の銘がある。脇の舟型地蔵は墓石。

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調布市の資料によると、寺には他に古い地蔵菩薩や元禄4年(1691)8月の舟型庚申塔があるのだが、墓所でも見当たらず。住職の奥様らしき方にお伺いしたが、分からないという。以前は墓地の駅寄りの隅にあったらしいが、今回は探しても見つけることが出来なかった。

場所  調布市西つつじヶ丘4丁目9-1

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2023年7月19日 (水)

旧道辻の庚申塔(調布市東つつじヶ丘)

狛江市と京王線の仙川を結ぶ都道114号線の近くに並行した旧道があり、その辻に簡素な堂宇が立っている。仙川から来ると入間川を渡って次の辻である。この南には糟嶺神社と明照院があり、旧道からこの寺社にアクセスする道の角にあたる。

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左側にあるのは駒型の庚申塔。右は欠損が目立つが丸彫の地蔵座像である。明照院と糟嶺神社は小高い丘の上にあり、この丘は入間陵山と呼ばれるようだ。この糟嶺神社は古墳跡に建てられた神社とのことである。

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左の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿に加えて左手にはショケラを下げている。造立年は明和元年(1764)12月と刻まれている。右の丸彫の地蔵菩薩坐像は頭部が欠損しているが、基壇に書かれている文字から、宝暦3年(1753)2月の造立で、「奉造立地蔵菩薩六十六文供養▢」の文字がある。

場所  調布市東つつじヶ丘3丁目54-1

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2023年7月17日 (月)

田中稲荷の供養塔(調布市若葉町)

バス通りの都道114号線に面した田中稲荷。境内は数十坪ほどだろうか。田中稲荷は別名新井稲荷とも呼ぶらしい。創建年代は不詳で新井一族の鎮守とされているが何故田中稲荷なのかが分からない。田中家は狛江村の名主だったと思うが、距離的には歩いても近い距離なので関係があるのかもしれない。

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元は屋敷稲荷だったのだろうが戸建2軒分ほどの敷地を持つ立派な稲荷神社である。少し北にある大日如来像のある新井家墓所も同じ新井家で、この辺りの名主を代々務めた家柄だという。鳥居の手前、道路に近いところに角柱型の石碑がある。

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正面はゼニゴケで白くなっているが、上部には阿弥陀三尊の梵字が刻まれている。正面には「奉納西國秩父坂東百牧兼石橋建立惣供養」とある。右面に造立年があり、寛政2年(1790)11月で、左面には「武州多摩郡入間村惣助成施主」と書かれている。

場所  調布市若葉町3丁目12-6

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2023年7月15日 (土)

地蔵坂の地蔵(調布市東つつじが丘)

地蔵坂の坂上に立つ地蔵堂。堂宇の脇から地蔵坂を擁壁の際から見下ろすと数mあり、意外に怖い高さである。コンクリートの擁壁は地蔵坂の坂道改修で造られたものだが、それ以前の様子を想像してみた。関東ローム層の脆い崖上から細い切り通しの道で入間川に下っていく滑り台のような小道。崖の上には通行人を見守るように地蔵堂が立っている。

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堂宇の手前には小さな手水鉢が置かれている。天保15年(1845)8月の造立年が刻まれている。道から堂宇までは人一人がやっと歩けるような杣道になっている。そのあたりは昔も同じだっただろう。

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格子の隙間から覗くと、小さめの丸彫の地蔵菩薩が祀られていた。彫りは浅い。調布市の資料によると、造立年不詳ながらおそらくは手水鉢と同じころのものだろうとしている。

場所  調布市東つつじが丘3丁目16-4

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2023年7月13日 (木)

地蔵坂(調布市東つつじが丘)

之川支流の入間川は若葉町の谷あいではつつじヶ丘側が崖になっていた。古代から日本の米作農業は河岸段丘の上に集落を構え、河岸段丘の下の川の流域を田んぼにして米作を行っていたところが大多数。おそらくここも古代から中世にかけてはそうだったと推測できる。入間川のこの辺りの地形では左岸にあたる三部作の坂上が標高47m、右岸の地蔵坂上が標高35mとこちらがかなり低い。

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入間川に架かる橋は鉄製の橋。橋を渡ると急坂で一気に登る。高い擁壁がここが元々崖であることを示している。坂の上下の標高差は僅か7mほどしかないが距離が短いのでかなりの急坂である。坂上には地蔵堂がある。

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坂下には市立第四中学校があり、野球部の子どもたちが坂を下って行った。坂名の由来はどう考えてもこの地蔵堂にあると思われる。古い地図ではこの辺りの小字は「本組」と書かれているが、この地名については分からない。現在は坂上は東つつじが丘3丁目、入間川の左岸側は若葉町3丁目である。

場所  調布市東つつじが丘3丁目

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2023年7月11日 (火)

熊谷坂(調布市若葉町)

三部作というものがある。夏目漱石ならば『三四郎』『それから』『門』が有名である。調布市若葉町の坂の三部作は「大坂」「本村坂」そして「熊谷坂」と呼んでもいいと思う。

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南にある「大坂」、真ん中が「本村坂」、そして若葉小学校の北側の国分寺崖線を上っていく坂道が「熊谷坂」である。小学校の敷地の奥までは普通の道で徐々に上っていく。その先で本格的に崖線に差し掛かるとそこからは階段坂になっている。坂下と坂上の落差は他の坂と同じく16m程度である。

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坂上は大きなマンション。熊谷坂の名前の由来は辺りに熊谷という姓の家があったことらしいが、別名「鉄砲坂」とも呼び、大雨の時坂を水流が流れたからそう呼ばれたようだ。ただ地形図を見ていると谷地形を形成しているのは真ん中の本村坂で、この坂は特に水が流れそうな標高データである。ちなみに新しそうなこの坂も江戸時代からある道筋である。

調布市若葉町1丁目、3丁目

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2023年7月 9日 (日)

本村坂(調布市若葉町)

大坂のひとつ北側にある坂道が本村坂。「ほんむらざか」と読む。坂下には調布市立若葉小学校がある。しかしこの小学校は比較的新しく、昭和36年(1961)に滝坂小学校の分校として開校した。それ以前は小学校の真ん中を本村坂が貫いていたのである。

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若葉小学校の裏手から本村坂が始まる。最初私は「ほんむらざか」だと思っていた。この辺りが武者小路実篤も住んでいたことから集落の中心だったから本村と勘違いしたわけである。実は本村(ほんむら)というのは江戸時代の名主吉田家の本家筋の姓だという。この辺りの大地主で、坂の途中に墓所があったようだ。

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現在は坂の途中は崖線の森の中を通る気持ちのいい道になっている。坂下の標高は30m、坂上の標高は47mで大坂とほとんど同じ。こんな道だが江戸時代からこの道もあったようだ。

場所  調布市若葉町3丁目

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2023年7月 7日 (金)

大坂(調布市若葉町)

坂上の庚申塔にお詣りをしてから大坂を下る。千歳村で仙川を渡り、神明社辺りで瀧坂道と分岐したのち、再び下り入間川を渡る手前にある、国分寺崖線の上下を結ぶ坂が大坂である。

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珍しく露頭がふんだんに見えている坂道で、コンクリート舗装がなければ江戸時代と同じような景色ではないかと思われる。坂下に緑地の説明板があり、その一部に大坂の解説が載っている。

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『この緑地の北側に隣接する坂道(市道)は旧都道で、旧入間村の主要道で、近世・近代を通じ南の現狛江市域から甲州街道へ通じる道として利用されてきた古道の一部です。明治以降は東京への野菜出荷の荷車が頻繁に通っていましたが、難所であったため昭和初期に拡幅、緩勾配かが行われ現在に至っています。坂の上には道標兼庚申塔が立ち、この緑地を含めた両側の樹林地も残され昔の面影を今に伝えます。』とある。

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坂上の標高は46m、坂下は30mで16mほどの落差がある。瀧坂道などの街道ならば手間賃稼ぎの子どもが荷車の押手を担っただろうが、村道ではなかなかそうもいかず、難儀をしたことだろう。この坂を上っても次の仙川に下るとまた廻沢村への安穏寺坂が待っている。そういう歴史を感じられる貴重な大坂である。

場所  調布市若葉町3丁目

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2023年7月 5日 (水)

大坂上の庚申塔(調布市若葉町)

新井家墓苑の前を進むと丁字路に当たる。丁字路を東西に走るこの道は古い道で、入間川の崖線を上下する坂道の中では最南の七曲がりの坂、すぐ北の新左エ門の坂に続く三つ目の坂である。崖側に進むと、北へ分岐する丁字路があり、その角に堂宇が立っている。この北への道も古い道で、北隣の本村坂上に繋がっている。

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ブロックで作られた堂宇の中には駒型の庚申塔が一基祀られていた。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛は左手にショケラを下げている。造立年は文化9年(1812)11月と刻まれている。

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台石にも文字が刻んであるがどうも読み取れない。資料を確認すると、正面には「玉川道府中」、右面には「江戸道」、左面には「井のかしら道」、裏面には「多摩郡入間村講中 明月中原講中 四ツ谷忍町 石工木橋市良兵エ」と書かれているらしい。瀧坂道から分岐した古い村道があり、旅人の道標としても役立っていたのだろう。

場所  調布市若葉町3丁目27-44

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2023年7月 3日 (月)

霊松山新井家墓苑の石仏(調布市若葉町)

狛江から仙川に続く都道114号線は崖線を切通して緩やかな坂道で仙川へ上っている。その坂の途中を横切るように新左エ門坂上からの古道が南北に通っており、都道の少し北には新井家の墓所がある。「霊松山新井家墓苑」と書かれているが、霊松山が何を意味するのかは不明。ただ霊松山という山号を持つ寺院は全国に多数ある。

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この墓苑の南端の一画に堂宇があり、山状角柱型の大日如来坐像が祀られている。紀年は安永5年(1776)4月で、右側面に「藤原姓 佐橋佳栄」とある。江戸時代初期に土地の有力者であった佐橋氏はこの辺りにいたが、その後この地を離れ、その後また戻ってきたらしい。裏面には願主名があり「入間村名主新井覚右衛門 寛政11年(1799)4月」ともあるので、こちらが造立年かもしれない。

場所   調布市若葉町3丁目26-18

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2023年7月 1日 (土)

新左エ門の坂(調布市入間町)

七曲がりの坂の脇道が中央学園通りに分断された先、廃道になりそうな道が残っているが、その脇の斜面にあるのが辨天山宇賀辨天堂跡。弁財天は蛇の化身、宇賀神ともされ、水の絡む場所に祀られていることが多い。

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その斜面の脇から崖線を上る道がある。これが新左エ門の坂と呼ばれる坂道である。坂上に向かって右側が辨天山、左が入間町一丁目緑地として、国分寺崖線の貴重な自然が保護されている。坂名は、地主鈴木家が代々新左エ門を襲名したことから付いたらしい。

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坂上までの高低差は、下が標高30m、上が標高45mで15mの高低差がある。国分寺崖線は田園調布を突端にして、多摩川左岸を上流までずっと崖線を形成しているいわゆる河岸段丘地形である。成城学園前周辺を中心に調布市まで魅力的な崖線が連続している。

場所  調布市入間町1丁目

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