« 2023年7月 | トップページ | 2023年9月 »

2023年8月30日 (水)

道生神社の道祖神(調布市飛田給)

道生(みちおい)神社は京王線飛田給駅の南東にある小さな神社。創建年代は不詳。元は調布飛行場の場所に在った山王社が道生神社と明治時代初期に改称、飛行場の建設によって移転を余儀なくされ飛田神社を合祀して現在地に移ったという。神社の前の道はかつての品川道であり、青梅奥多摩から多摩川河口へ筏に乗って木材を運んだ筏師が戻る街道(筏道)であった。

Dscn5680

神社の鳥居は旧品川通り側ではなく、側道側にあるが、これは道路側の敷地を公園としたためだろうか。現在の鳥居をくぐり手水鉢の手前に一基の角柱の石塔がある。正面には「道祖神」と書かれ、嘉永4年(1851)7月の造立年がある。左側には「上飛田給下組講▢」とあるが、これは筏道とも関係しているのだろうか。

場所  調布市飛田給2丁目39-20

| | | コメント (0)

2023年8月28日 (月)

飛田給薬師堂の石仏(調布市飛田給)

調布市飛田給は昭和の東京オリンピックのマラソン折り返し地点。近年は東京FCのホームスタジアム(味スタ)でイベント日には多数の観客が集まる。飛田給という地名は珍しい地名だが、中世の荘園時代に飛田某という領主から与えられた給田だったことから「飛田給(とびたきゅう)」という地名になったと伝えられる。そんな飛田給の旧甲州街道に面しているのが薬師堂である。

Dscn5672

門の両脇には文化13年(1816)4月に建立された対の燈籠が立ち、奥には薬師堂がある。薬師堂の中には薬師如来像があるが拝観はできなかった。貞享3年(1686)4月造立の丸彫の石造薬師如来らしい。由来碑によると、貞享年間に仙台伊達家の忠臣松前氏が諸国行脚の後ここに庵を建て、医者および仏師として暮らした。彼は薬師如来像を完成させたのちに他界したという。

Dscn5662

境内にあった3基の角柱から成るこの行人塚はその松前氏を祀っており、造立年は元禄14年(1701)正月と刻まれている。左右の角柱はもともとは薬師如来像の左右にあったものをここに移設したらしい。この対の角柱には貞享3年(1686)4月の紀年があるので、こちらの方が古いことになる。「施主為松前意仙行重二世安楽」とあることから、松前氏を祀るものである。

Dscn5666

行人塚の左脇に立っていたのは角柱型の敷石供養塔である。造立年は明治18年(1885)9月。「当所 発起 萩原与兵衛 世話人 念仏講中」と書かれている。行人塚の反対側(右側)には手水鉢があり、その後ろに多数の石仏が並んでいる。

Dscn5653

右端は背の低い角柱型の庚申塔で、正面には「庚申塔」の文字がある。文化15年(1818)4月の造立年があり、左右には「北所沢道」「南相州大山」とある。左の庚申塔は元は舟型光背型で、日月は不詳、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、宝暦2年(1752)の造立だが月の部分は読めない。「奉造立庚申▢願成就 如意満足所」「多摩郡」の文字がある。

Dscn5655

その隣には板碑型の庚申塔がある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、享保13年(1728)4月の造立。「奉造立庚申供養塔 各願成就處攸」「▢刕多摩▢総村講中敬白」の文字がある。左は角柱型の馬頭観音で、造立年は文久元年(1861)9月。「世話人 念仏講中」「当所 願主 峯岸久次郎」とある。

場所  調布市飛田給1丁目25-4

| | | コメント (0)

2023年8月26日 (土)

滝坂下の庚申塔(調布市東つつじヶ丘)

甲州街道(国道20号線)の滝坂を下った坂下の南側にブロック造りの堂宇がある。中には3基の石仏が並んでいるが、ここの小さな路地が実は昔からの道筋で、ここで甲州街道と分岐して滝坂小学校の現敷地内を通り、つつじヶ丘駅の南にある金子稲荷神社と常楽院の脇を通って野川を渡り、国領の矢ヶ崎に至る道だった。この道はかつての鎌倉街道だったという。

Cimg9764

左の一番大きな石仏は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、二童子、二夜叉、三猿のなかなか豪華な図柄である。造立年は寛政12年(1800)11月とある。左側面には「武州多摩郡入間村」の銘、右には紀年が刻まれている。

Cimg9759

中央の庚申塔は古いもので、駒型ながら頂部がやや欠損、日月、青面金剛像の図柄となっている。造立年は天和3年(1683)とあるが月名は不明。「奉供養攸」の文字が見える。右の小さな舟型光背型の地蔵菩薩像は元禄13年(1700)7月の造立年が見られる。欠損と摩滅が酷く、詳細は分からない。

場所  調布市東つつじヶ丘1丁目5-10

| | | コメント (0)

2023年8月24日 (木)

旧滝坂道の石仏(調布市東つつじヶ丘)

甲州街道の仙川とつつじヶ丘の間の坂道は江戸時代から滝坂と呼ばれてきた古い坂道である。かつては滝坂上に道標があったらしいが深大寺に移された。しかし現在は民家の隅にレプリカのような道標が立っている。(深大寺に移された道標は何倍も大きいもの)

Cimg9747

滝坂という坂道、高低差が11mほどあり、並行して現在の国道20号線が車路を変更する工事をしている。坂下では国道を見上げるような高低差になっている。八王子よりも都心側でかつての景色を留めている貴重な場所と言われる。

Cimg9748

滝坂の名前の由来は、「大雨の時、雨水が路上を滝のように流れ下った」様子から来ているという。写真の左にある林の手前(坂上側)に2基の石仏が祀られている。

Cimg9754

右の大きい方が舟型光背型の薬師如来坐像である。基壇の記載を見ると、中央に「薬師如来」の文字があり脇に二名の戒名がある。右面には文政13年(1830)4月と、文政10年(1827)8月の命日があるので、おそらくは文政13年に建立されたものであろう。左の丸彫の地蔵菩薩像は首が欠損している。「▢▢女念仏供養敬白」とあり、基壇には享保4年(1719)10月の造立年がある。武州多摩郡世田谷領入間村滝坂▢中とある。

場所  調布市東つつじヶ丘1丁目15-3

| | | コメント (0)

2023年8月22日 (火)

下仙川村辨天坂庚申(調布市緑ヶ丘)

甲州街道(国道20号線)の仙川駅入口の交差点を駅とは反対の北側に進むと、間もなく右手にスーパーいなげやがある。道はそのまま下り坂になって弁天橋で仙川を渡る。仙川の少し手前の坂下の角には小さな堂宇があり、庚申塔が祀られている。

Cimg9739

写真左の坂道は昔から弁天坂と呼ばれてきた坂道だが資料はなく、仙川に架かる弁天橋もこの弁天坂も、なぜ「辨天」の名を持つのか分からない。橋の北側には八幡神社があるが辨天ではない。堂宇の中の庚申塔は駒型で、日月、青面金剛像、三猿の図柄である。

Cimg9741

造立年は左にあり、宝永元年(1704)10月とある。「同行九人 下仙川村」の銘がある。尊像右側には「奉造立青面金剛童子現當二世安楽祈所」とあるが弁天の文字はない。庚申塔だから無理もないが、北千住の千住仲町の氷川神社には庚申弁天があったので、例がないわけではないが。

場所  調布市緑ヶ丘1丁目1

| | | コメント (0)

2023年8月20日 (日)

昌翁寺門前の庚申塔(調布市仙川町)

京王線仙川駅から北に向かうと甲州街道(国道20号線)にあたる。この辺り数百mの国道20号線は江戸時代の甲州街道と同じ道筋を通っている。甲州街道の北側にあるのが昌翁寺。天台宗の寺院で、江戸時代の初期に仙川領主の飯高主水貞政が開基となり、創建した。飯高貞政はもともとは今川家の家臣で、後に徳川家康の家臣となり、仙川の地を与えられた。

Cimg9731

立派な山門のある昌翁寺だが、明治12年(1879)に全焼し、再建されたのは大正13年(1924)で再建迄には45年も掛っている。山門の奥に本堂があり、右手の墓所にも石仏があるが今回は遠慮した。山門の手前、甲州街道ギリギリのところに3基の石仏が祀られている。

Cimg9734

左は駒型の庚申塔で、青面金剛像、三猿の図柄。造立年は元禄10年(1696)11月とあり、右上に「奉供養庚申待‥」の文字、左側の紀年に加えて下仙川村の銘がある。中央の駒型の小さな石仏は「奉納大乗妙典六十六部供養塔」と書かれた廻国供養塔で、法令8年(1758)8月のもの。右の舟型の庚申塔も青面金剛像、三猿の図柄で、こちらは元禄3年(1690)拾月とある。調布市の資料によると、2基の庚申塔は、仙川八幡神社の東、向山に存在した寺院にあったものらしい。

場所  調布市仙川町3丁目7-1

| | | コメント (0)

2023年8月18日 (金)

椿地蔵(調布市布田)

京王線の南側を走る品川通り、布田駅から布田南通りが伸びて交差するのが椿地蔵前という交差点になっている。布田南通りも実は江戸時代からある古い道で、品川通りも同様に古い道である。

Img_8878

堂宇の後ろにある樹木が有名らしく、堂宇脇の説明板は地蔵の説明ではなくこの「シロハナヤブツバキ」という調布市の天然記念物の樹木の説明だった。昭和30年の品川通り拡幅の際に5mほど移されたらしい。ツバキとはいえかなりの古木らしく、この樹木に因んで堂宇の丸彫の地蔵も椿地蔵と呼ばれている。

Img_8880

基壇には「念仏講中」「下布田村」とあるが、地蔵の文字は未確認。資料によると、台石にはその他、開眼師宝勝寺▢▢とあり、享保20年(1735)11月の建立年が刻まれているらしい。「武州多摩郡府中領下布田村上ヶ給村講中」と書かれているという。

場所  調布市布田6丁目41-2

| | | コメント (0)

2023年8月16日 (水)

正雪地蔵尊(新宿区矢来町)

新宿区は古い町名が多く残っていて極めて興味深く、歴史好きにとっては有難い。地下鉄東西線と大江戸線の間を南北に通る牛込中央通りから少しだけ入ったところに秋葉神社がある。秋葉神社は結構あちこちにあり、基本火除けの神様である。本宮は秋葉山本宮秋葉神社で浜松市の北の山の上にある。40年ほど前、天竜スーパー林道という道が出来た時に走りに行ったが、素通りしてしまったのが残念。

Img_0317

矢来町という町名はここに屋敷を構えていた大名酒井若狭守に因む。酒井家は京都府の若狭地方小浜藩の藩主で、江戸時代初期に家光よりここに下屋敷を拝領。周囲の土手を竹の矢来(粗めの竹囲い)で囲み名所となっていたのが町名の由来。以前から牛込寺町に火除けの神として鎮座していたが、酒井家の邸内に遷座。戦後酒井家からこの地に移転した。

Img_0319

秋葉神社の境内には堂宇がありその中に一体の石仏が祀られている。正雪地蔵尊とよばれるもので、酒井家邸内で発掘されたもの。頭部の欠けた織部型の切支丹燈籠だという。この街には江戸時代のクーデター首謀者由比正雪が住んでいたというだけで正雪地蔵と呼ばれるようになった。しかし、酒井家はもともとキリシタン大名で、その関係のものであって由比正雪はこの地蔵を信仰していたらしい。

場所  新宿区矢来町1-19

| | | コメント (0)

2023年8月14日 (月)

松庵稲荷神社の庚申塔(杉並区松庵)

杉並区内には井の頭通りと五日市街道がほぼ平行に走っている。井の頭通りはかつて水道道路と呼ばれた近代の道。五日市街道は古くからあり江戸時代には「青梅街道脇道」とも呼ばれた道で、高円寺で青梅街道と分岐してから西進、現在の吉祥寺を通り、玉川上水沿いに延びた街道であった。江戸時代はこの辺りは松庵村と呼ばれ、江戸時代初期に松庵という医者が開いた村らしい。

Img_0149

現在は松庵稲荷神社だが、江戸時代は天台宗の円光寺という寺院であった。しかし明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり神社だけが残った。現在も裏手にかつての僧侶たちの墓所がある。その後昭和9年に隣の中高井戸村の稲荷神社を合祀して松庵稲荷神社となった。庚申塔の堂宇が参道に背を向けているのはそういう歴史も関係しているのだろうか。

Img_0150

右の舟型光背型の庚申塔は、日月、青面金剛像、三猿の図柄。元禄6年(1693)の造立だが月のところが欠損している。「念庚申供養▢▢安楽所」とある。左の笠付角柱型の庚申塔も、日月、青面金剛像、三猿の図柄で、こっちの造立年は元禄3年(1690)11月とある。右側面には「武列野方領松庵新田」とあるので、元禄時代はまだまだ開墾されて間もない田んぼだったのだろう。

場所  杉並区松庵3丁目10-3

| | | コメント (0)

2023年8月12日 (土)

赤稲荷の庚申塔(調布市国領町)

品川通りの国領5丁目交差点に稲荷神社がある。通称「赤いなり」と呼ばれているらしいが、基本稲荷は赤い。屋敷稲荷が境内を持ったようなサイズの小社だが、時代は古そうである。

Img_9326

赤稲荷のブロック塀が凹んでいるところがあり、そこには2基の庚申塔が祀られている。この辺りは古い地名では上ケ給(上給)だと思われるが、下布田と上布田の間でもある。ブロック塀の凹みには右に上部欠損の舟型庚申塔、左に角柱型の庚申塔が並んでいる。

Img_9327

右の上部欠損の庚申塔は青面金剛像と一猿が見てとれる。右に「庚申供養」、左には元禄14年(1702)10月の造立年と同行十九人の文字がある。左の大きい角柱型庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼が描かれ、台石に三猿が陽刻されている。造立年は天保9年(1838)4月。台石には願主名や村名がある。上給村、下布田村、国領村の村名があり、願主には杉崎、榎本、石坂などの苗字が見られる。

場所  調布市国領町5丁目37-2

| | | コメント (0)

2023年8月10日 (木)

杉崎稲荷神社の石仏(調布市国領町)

品川通りに近い調布市立第二小学校の南東側に稲荷神社がある。杉崎家が祀ってきた稲荷神社なので杉崎稲荷と呼ばれているようだ。国領町には実に沢山の稲荷があり、大部分は屋敷稲荷なのだが、この杉崎稲荷のように境内を持つ神社がいくつもある。

Img_9325

境内は極めてシンプルだが、向きがそれぞれ違っていてちょっと違和感がある。境内のケヤキは小さいが幹が太い。そのケヤキの左側に舌状の自然石が立っている。廻国供養塔のようだ。

Img_9324

境内にはチェーンが張ってあって入れないので資料も確認する。「奉納大乗妙典六十六部供養塔」の文字は遠くからも見える。造立年は明和5年(1768)11月で、上給村願主榎本武左衛門の銘がある。ただ杉崎家の神社とされながら、願主名が異なるのが疑問であった。上給(あげきゅう)村は江戸時代に布田宿から分かれて村となったが、戦後になっても上給の地名で呼ばれていた。

場所  調布市国領町4丁目22-1

| | | コメント (0)

2023年8月 8日 (火)

矢ヶ崎稲荷神社の石仏(調布市国領町)

矢ヶ崎稲荷神社を探すのにいささか往生した。近辺にはいくつも中小の稲荷があり、どれも矢ヶ崎稲荷ではなかった。地図を確認して、住宅の間の路地を覗いてみると、奥に鳥居を発見。

Img_9305

この住宅の裏の水路敷のような路地を奥まで進んでいくと、再び鳥居があり、矢ヶ崎稲荷神社に辿り着く。矢ヶ崎稲荷神社の創建などについては情報が得られていない。もともとこの辺りは矢ヶ崎村という土地で、甲州街道を狛江方面に進むと、下布田、矢ヶ崎、山谷、松原を経て和泉に至る。半分以上は現在地名から消えている。

Img_9307

境内の堂宇には6基の石仏が祀られている。背面には説明書きが大きく書かれている。「この石仏群はもと矢ヶ崎村、現在の国領(調布市)にあったものを祀った」とあり、上部には木の札で種類と造立年が書かれていた。

Img_9308

右の2基はともに庚申塔である。右側の灰色の方は舟型光背型の庚申塔で、日月と青面金剛像だけというシンプルな図柄。正徳2年(1712)10月の造立年があり、「待庚申」「武州多摩郡府中領矢加崎村同行十五人」とある。誤字は江戸時代には多い。左側は櫛型角柱型の庚申塔で、こちらは日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。造立年は寛政12年(1800)11月で、「武州多摩郡 講中十三人」の文字がある。

Img_9309

主尊のように中央に立っているのが丸彫の地蔵菩薩像。何となく新しい。基壇の正面には天明3年(1783)9月の造立年に「奉造立地蔵尊」とあるが、左側面には「大正14年(1925)3月新調 願主女講中 石工橋本安兵ェ」とあるので、実際の建立年は大正14年だろう。右側には「北多摩郡矢ヶ崎村」の銘がある。

Img_9313

左の3基は、右が百万遍供養塔で櫛型の角柱、寛政4年(1792)3月の造立。「奉修唱六字名号百万遍供養塔」とある。六字名号は南無阿弥陀仏だろう。数珠の欠けられた舟型光背型の地蔵菩薩像はかなり摩滅しているが、明和2年(1765)2月の造立らしい。そして左端の小さな石片は塞ノ神の一部だという。

場所  調布市国領町7丁目54-19

| | | コメント (0)

2023年8月 6日 (日)

デニーズ裏の庚申塔(調布市国領町)

狛江から国領駅を通って甲州街道へ抜ける狛江通りが、東西に走る品川通りと交わる国領町八丁目の交差点角にデニーズがある。その駅側の路地入口に堂宇があり石仏が祀られている。

Img_9295

この細い脇道は昔、布田村に入る古道であった。それでこの角に布田村の講中が建立したものとされている。戦災で壊れたのだろうか、かなり欠損したり折れたりしたものが目立つ。左端はごく最近の地蔵菩薩でこれについては調べていない。

Img_9297

右端の庚申塔は中折れしている。本来は駒型で、日月、青面金剛、とセメントで補修された下に三猿が一部覗いている。資料によるとセメントの部分には邪鬼があるようだ。造立年は明和9年(1772)11月で、「奉庚申供養」「武州多摩郡府中領布田村」の銘がある。左の上部と脇が欠損した庚申塔ももとは駒型で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。造立年は正徳5年(1715)11月で、「▢▢世安楽同行拾二人」「武州多摩郡布田村」とある。

Img_9298

左側の庚申塔は最もダメージが少ないが、文字は読みづらい。駒型で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が見られる。造立年は右に「奉納庚申」に続いて、宝暦6年(1756)12月とある。左には「武州多摩郡布田村講中八人」とあり、3基とも布田村の講中によるものである。

場所  調布市国領町4丁目52-3

| | | コメント (0)

2023年8月 4日 (金)

調布稲荷の馬頭観音(調布市国領町)

郷土博物館の庭に保管してあった2基の庚申塔は資料によると、「調布稲荷(国領町1-12)から一時中央公民館に移し、その後調布市郷土博物館に移した」とある。その元々あった調布稲荷を訪れてみた。

Img_9291

数本の樹木はあるものの、ほぼ更地に近い境内で、2基の赤鳥居の先に小さめの祠がある。国領町には屋敷稲荷が沢山あるので、ここは違うのかもと思ったが、やはりここが調布稲荷である。もっとも正徳5年と天保11年の2基の庚申塔がここに在ったのは戦後間もない頃だったのだろう。

Img_9293

境内の端に一基だけ、角柱型の馬頭観世音が祀られていた。左面には昭和7年(1932)10月の建立年と、願主小山嘉吉建之の文字。右面には「馬名 北野 岩風」とある。資料によると、北野号は永年、代かきや作物の運搬、肥とりに使われた馬で、コンクールでも銅賞を獲得したらしい。その後飼われたのが岩風で、その2頭が祀られている。

場所  調布市国領町4丁目12-4

| | | コメント (0)

2023年8月 2日 (水)

くいちがい一里塚庚申(調布市国領町)

旧甲州街道の国領駅からの道の交差点から西へ100m余り進むと、甲州街道の南側に堂宇がある。堂宇の脇にはケヤキが植えられている。この堂宇に祀られているのは角柱型の庚申塔。

Img_9285

この辺りも平成以降大きなマンションが建ち並ぶようになったが、この庚申堂は存在感がある。古い呼び名では「くいちがい一里塚庚申」と呼ぶらしい。江戸時代の街道には一里ごとに塚が築かれ、ここは新宿追分から15㎞程だからおよそ4つ目の一里塚だろうか。食い違いというのはクランクになっている場所を言うのだが、この辺りにクランクがあったのだろうか。

Img_9287

庚申塔の造立年は寛政10年(1798)2月。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「下布田村比浦講中」とあるが、この辺りは北浦というのが古い字名なので誤字であろう。新宿を出ると笹塚が最初の一里塚。次が下高井戸辺りになる。給田あたりにあったらしい次の一里塚は見つからなかったが、これが4つ目ならば何となくうれしい。

場所  調布市国領町1丁目41-1

| | | コメント (0)

« 2023年7月 | トップページ | 2023年9月 »