矢ヶ崎稲荷神社の石仏(調布市国領町)
矢ヶ崎稲荷神社を探すのにいささか往生した。近辺にはいくつも中小の稲荷があり、どれも矢ヶ崎稲荷ではなかった。地図を確認して、住宅の間の路地を覗いてみると、奥に鳥居を発見。
この住宅の裏の水路敷のような路地を奥まで進んでいくと、再び鳥居があり、矢ヶ崎稲荷神社に辿り着く。矢ヶ崎稲荷神社の創建などについては情報が得られていない。もともとこの辺りは矢ヶ崎村という土地で、甲州街道を狛江方面に進むと、下布田、矢ヶ崎、山谷、松原を経て和泉に至る。半分以上は現在地名から消えている。
境内の堂宇には6基の石仏が祀られている。背面には説明書きが大きく書かれている。「この石仏群はもと矢ヶ崎村、現在の国領(調布市)にあったものを祀った」とあり、上部には木の札で種類と造立年が書かれていた。
右の2基はともに庚申塔である。右側の灰色の方は舟型光背型の庚申塔で、日月と青面金剛像だけというシンプルな図柄。正徳2年(1712)10月の造立年があり、「待庚申」「武州多摩郡府中領矢加崎村同行十五人」とある。誤字は江戸時代には多い。左側は櫛型角柱型の庚申塔で、こちらは日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。造立年は寛政12年(1800)11月で、「武州多摩郡 講中十三人」の文字がある。
主尊のように中央に立っているのが丸彫の地蔵菩薩像。何となく新しい。基壇の正面には天明3年(1783)9月の造立年に「奉造立地蔵尊」とあるが、左側面には「大正14年(1925)3月新調 願主女講中 石工橋本安兵ェ」とあるので、実際の建立年は大正14年だろう。右側には「北多摩郡矢ヶ崎村」の銘がある。
左の3基は、右が百万遍供養塔で櫛型の角柱、寛政4年(1792)3月の造立。「奉修唱六字名号百万遍供養塔」とある。六字名号は南無阿弥陀仏だろう。数珠の欠けられた舟型光背型の地蔵菩薩像はかなり摩滅しているが、明和2年(1765)2月の造立らしい。そして左端の小さな石片は塞ノ神の一部だという。
場所 調布市国領町7丁目54-19
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