飛田給薬師堂の石仏(調布市飛田給)
調布市飛田給は昭和の東京オリンピックのマラソン折り返し地点。近年は東京FCのホームスタジアム(味スタ)でイベント日には多数の観客が集まる。飛田給という地名は珍しい地名だが、中世の荘園時代に飛田某という領主から与えられた給田だったことから「飛田給(とびたきゅう)」という地名になったと伝えられる。そんな飛田給の旧甲州街道に面しているのが薬師堂である。
門の両脇には文化13年(1816)4月に建立された対の燈籠が立ち、奥には薬師堂がある。薬師堂の中には薬師如来像があるが拝観はできなかった。貞享3年(1686)4月造立の丸彫の石造薬師如来らしい。由来碑によると、貞享年間に仙台伊達家の忠臣松前氏が諸国行脚の後ここに庵を建て、医者および仏師として暮らした。彼は薬師如来像を完成させたのちに他界したという。
境内にあった3基の角柱から成るこの行人塚はその松前氏を祀っており、造立年は元禄14年(1701)正月と刻まれている。左右の角柱はもともとは薬師如来像の左右にあったものをここに移設したらしい。この対の角柱には貞享3年(1686)4月の紀年があるので、こちらの方が古いことになる。「施主為松前意仙行重二世安楽」とあることから、松前氏を祀るものである。
行人塚の左脇に立っていたのは角柱型の敷石供養塔である。造立年は明治18年(1885)9月。「当所 発起 萩原与兵衛 世話人 念仏講中」と書かれている。行人塚の反対側(右側)には手水鉢があり、その後ろに多数の石仏が並んでいる。
右端は背の低い角柱型の庚申塔で、正面には「庚申塔」の文字がある。文化15年(1818)4月の造立年があり、左右には「北所沢道」「南相州大山」とある。左の庚申塔は元は舟型光背型で、日月は不詳、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、宝暦2年(1752)の造立だが月の部分は読めない。「奉造立庚申▢願成就 如意満足所」「多摩郡」の文字がある。
その隣には板碑型の庚申塔がある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、享保13年(1728)4月の造立。「奉造立庚申供養塔 各願成就處攸」「▢刕多摩▢総村講中敬白」の文字がある。左は角柱型の馬頭観音で、造立年は文久元年(1861)9月。「世話人 念仏講中」「当所 願主 峯岸久次郎」とある。
場所 調布市飛田給1丁目25-4
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