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2023年9月29日 (金)

野川馬橋脇の地蔵(調布市菊野台)

国道20号線が野川を渡るのが馬橋。国領も柴崎も今に残る地名だが、この辺りは昔は金子村といった。甲州街道沿いには家が張り付いていたが、野川の辺りだけは田んぼだったようだ。今は馬橋の西側に調布警察署のビルがある。川の東側の最初の路地から南に分岐した道は古い道で、大町(今の菊野台)に続いていた。

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その路地に入ったすぐのところの塀に凹みがあり屋根がついていて、地蔵菩薩像が祀られている。摩滅が進んでいて文字はほとんど読めない。調布市の資料によると造立年は不詳だが、「明」の文字が見えるようで、明和か明治の可能性があるが、おそらく明和年間(1764~1772)だろう。

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以前は馬橋の傍にあったらしい。昭和39年の東京五輪の際に道路拡幅があり、ここに移された。傍にある笠付塔婆には金剛夜叉明王とあるが、どう見ても地蔵菩薩像である。資料によると主尊の左には「金子村▢▢念仏講中」とあるようだ。

場所  調布市菊野台1丁目3-1

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2023年9月27日 (水)

光照寺の石仏(調布市柴崎)

調布市柴崎の野川近くにある浄土宗寺院の光照寺は創建年代不詳ながら、江戸時代初期に浄土宗寺院として始まったという。それ以前にも何らかの寺院であったようだが詳細は分からない。江戸時代は喜多見の江戸氏ゆかりの慶元寺末であった。

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参道入口に多数の庚申塔などがあるが後述。参道を直進すると本堂がある。寺の詳しい歴史は分からない部分が多いらしいが、柴崎稲荷神社の辺りにあった三界寺という修験寺が元だったという話もある。1300年代の板碑も複数所蔵されているようで、実際に古い歴史があるのだろう。

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境内に1枚だけ板碑が置かれている。この板碑は貞和4年(1348)3月の造立で、時代は南北朝時代になる。由緒ある板碑らしく、説明板には「新田義宗公城下→岡崎松平家→西山庄松平家→調布松平家→光照寺」と移されたとある。岡崎松平家は徳川家康の一城で、西山庄はおそらく西山荘で水戸黄門、という風にビッグネームに絡んだものらしい。

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板碑の近くには覆屋があり2基の石仏が祀られている。左は元禄10年(1697)8月造立の舟型光背型の聖観音像。「妙心信女」とあるが墓石かどうかは分からない。右の舟型光背型の地蔵菩薩像は宝暦11年(1761)4月の造立で、「當村女講中」と刻まれている。地域では「いぼとり地蔵」と呼ばれているようだ。

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無縁仏が建ち並ぶ中に角柱型の馬頭観音があった。造立年は天保3年(1832)11月。「世話人 稲毛講中 惣村中」「願主 佐保田利右衛門」と書かれている。

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参道入口に並ぶ石仏群を右から。一番右(本堂側)は駒型の庚申塔で高架5年(1848)3月のもの。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、側面には「奉造立庚申供養 柴崎村」とある。昭和40年代に柴崎1-20-1から移されたという。光照寺から100mあまり東の路地の角にあったようだ。左側は丸彫の地蔵菩薩坐像で文政11年(1828)11月の造立。基壇に芝崎村とあり、俗名があることから墓石だったのだろう。

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その左隣は駒型の庚申塔で元禄14年(1701)10月の造立。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、右面に「奉納庚申供養為二世安楽諸衆敬白」とある。左の大きな笠付丸柱の庚申塔は貞享元年(1684)10月のもの。日月、青面金剛像と三猿のシンプルな図柄だが、この並びでは最古。「奉納庚申供養」の文字がある。

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道路側から二番目の庚申塔は駒型の小型のもので、宝暦11年(1761)4月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、日の部分が欠けている。側面には願主銘があり鴨志田姓が多い。一番道路側は少し大きめの駒型庚申塔で、元禄4年(1691)9月の造立。日月、青面金剛像、三猿が描かれており、「奉寄進庚申供養」の文字があり、こちらの下部の願主名は相田姓が複数ある。

場所  調布市柴崎1丁目38-2

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2023年9月25日 (月)

柴崎稲荷神社の石仏(調布市柴崎)

調布市柴崎にある柴崎稲荷神社は崖地に築かれた神社である。野川によって作られた河岸段丘の際にある。創建年代は不詳。小田原北条氏の時代に寄進を受けていたと伝えられるので、室町時代あたりの可能性がある。本殿は大正2年の増築で朱塗りされた欅造りの立派なもの。かつての柴崎村の鎮守であった。

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神社の東側の坂道は通称「お宮さんの坂」と呼ばれ崖線を上るきつい坂である。こんもりと茂った境内の樹木が素晴らしい。階段を上ると正面に本殿があり、本殿の右手に石仏が並んでいる。

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右端の小さな角柱は二十三夜塔である。造立年は文久2年(1862)初夏とある。上部に日月があり、願主儀道造立之と記されている。二十三夜塔は通常勢至菩薩を主尊とし、地域によっては男性のみの講中であることが多い。現代風に言えば月待ちを理由にした飲み会だろうか。隣りの駒型の石塔は日月の下に猿田彦大神とある庚申塔である。造立年は明治5年(1872)。柴崎村の銘がある。

場所  調布市柴崎2丁目11-4

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2023年9月23日 (土)

金子厳島神社の庚申塔(調布市西つつじヶ丘)

西つつじヶ丘の住宅街にある金子厳島神社は創建年代不詳。かつては社前に清水を湛える池があり、その昔住民が農耕や生活に必要な水に感謝の念を込めて池のほとりに弁財天を祀ったのが始まりと伝えられる。厳島神社となったのは明治の初年の神仏分離の頃という説が有力。

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手前の一の鳥居は大正4年(1915)11月の建之とあり、奥の小さい方の二の鳥居は天明5年(1785)9月の紀年が刻まれている。おそらく江戸時代から昭和まで、金子村の人々によって信仰されていたのだろう。奥には小さな本殿があり、その左脇の松の木の下に駒型の庚申塔がある。

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庚申塔の造立年は安永6年(1777)10月。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄の駒型で、保存状態は極めて良い。武州多摩郡金子村講中26人の銘がある。野ざらしの庚申塔でこれほど程度のいいものは珍しい。

場所  調布市西つつじヶ丘1丁目15-8

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2023年9月21日 (木)

金子村の馬頭観音(調布市西つつじヶ丘)

国道20号線のつつじヶ丘交差点から北へ伸びる神代植物公園通りの上り坂が左にカーブする手前に堂宇がある。グーグルマップには庚申塔とあるが実は馬頭観音である。この道は江戸時代からある道である。この辺りが山のようになっているのは南を流れる野川と北側にある支流の入間川に挟まれた舌状台地であるためである。

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江戸時代はこの辺りは金子村という村だった。明治時代には神代村となったが、高度経済成長期の味気ない町名変更があるまでは金子町などと金子の名前を保っていた。金子というのは平安時代の領主の名前である。実はつつじヶ丘駅も昔は金子駅という駅名だった。

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堂宇の中には角柱の石仏が祀られている。文字はほとんど読めないが、左に弘化5年(1848)2月建之とある。右には「金子村 倉田勝右衛門」とあるようだ。もともとは旧金子村の馬捨場(現在の西つつじヶ丘2丁目16)にあったものを明治時代に移設したと伝えられる。舌状台地の突端に近い辺りだったようだ。

場所  調布市西つつじヶ丘1丁目36-4

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2023年9月19日 (火)

金龍寺の石仏(調布市西つつじヶ丘)

国道20号線から続く参道の先に豪華な山門を抱く曹洞宗の金龍寺は寺伝によると建永元年(1206)の創建とされる。江戸時代初期から禅寺として金子村の有力寺院であったようだ。山門は朱塗りの見事なもので、金色に輝く阿吽の仁王像が立つ。

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曹洞宗の寺院としては珍しいきらびやかな雰囲気だが、開かれた感じがして好ましい。山門をくぐると正面に本堂があり、右奥に墓所が見える。石仏は本堂前の向かって右側に並んでいる。

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一番手前にあるのが背の高い舟型光背型の庚申塔。造立年は貞享元年(1684)9月と古く、青面金剛像に三猿の図柄で左手にはショケラを下げている。下部には7名の願主名が刻まれており、鴨下姓が多い。

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左隣の紫陽花の樹の下には角柱型の馬頭観音がある。造立年は大正2年(1913)9月で、左側には願主小林泰蔵の銘がある。

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その左に立つのは丸彫の地蔵菩薩坐像で子供を抱いている。造立年は明治30年(1897)10月とあり、基壇正面には「為禅亮恵戒尼上座菩提」とある。右側には「永代施餓鬼料 金拾圓寄付 西多摩郡福生村阿部暉女建立」と書かれている。

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その先の覆屋には3基の立派な石仏が祀られている。右は舟型光背型の聖観音像で延宝9年(1681)3月の造立。中央は薬壺を持つ丸彫の薬師如来像で正徳6年(1716)6月の造立。「奉造立瑠璃光如来尊像」「武蔵国金子村住人 石井宗三為二世菩提也」と刻まれている。左の舟型光背型の地蔵菩薩像は寛文4年(1664)3月と古いもので、元は墓石らしい。

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反対側の植込みの奥には地蔵堂があり、中を覗くと駒型の地蔵菩薩像が祀られていた。造立年は天保14年(1843)9月とあり、天保年間、文化年間に亡くなった女性と子供の戒名が刻まれている。

場所  調布市西つつじヶ丘2丁目14-1

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2023年9月17日 (日)

大正寺の石仏(調布市調布ヶ丘)

調布駅北口から布田天神通り商店街を北進し、国道20号線を渡った角にあるのが真言宗の大正寺。その先には西暦900年からあるという旧郷社の布田天神があり、大正寺はその別当寺である。

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布田天神に向かっていく参道の途中に立派な山門がある。かつて上布田にあった栄法寺と下布田にあった宝性寺、そして布田小島と上布田宿の境にあった不動院寿福寺の3寺が合併して、大正4年(1915)に創建したのがこの大正寺である。布田天神が近く人通りが絶えないことから、自由に参拝しづらい雰囲気がある。

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山門の先には本堂があるが、その左手前に舟型光背型の石仏が並んでいる。後ろの説明板には六地蔵とあるが、手前の大きさのまちまちな6基はどうも墓石を集めたもののようである。後ろの中央にある大きな舟型光背型の地蔵菩薩像は寛文2年(1662)2月のもの。文字が欠損しているが、武刕多摩郡の文字が読める。六地蔵の右外にあるのが舟型の聖観音菩薩像。これは元禄9年(1696)正月の紀年がある。

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少しばかり山門側に戻ると、草に囲まれて正体の分からない笠付角柱型の石仏がある。調布市の資料ではこれは庚申塔で、造立年は元禄7年(1694)10月。下札村(下布田村)の銘があり、もともと旧甲州街道沿い布田駅付近にあった宝性寺の角地に安置されていたらしい。廃寺とともに移された。

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墓地方面にも多くの石仏があるが、檀家以外は歓迎されないようなので遠目に見ると、一基の庚申塔があった。駒形の庚申塔で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。中折れが2ヶ所ある。「奉納庚申 武州多摩郡府中之内下布田村 同行十四人」とあり、造立年は正徳2年(1712)11月とある。資料では奥にも複数の馬頭観音を含めた沢山の石仏があるが今回は拝観できなかった。

場所  調布市調布ヶ丘1丁目22-1

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2023年9月15日 (金)

小島地蔵堂の石仏(調布市小島町)

調布駅の北口近く、国道20号線と旧甲州街道の間に大きな地蔵堂がある。境内にある案内板によるとどうも大正寺の境外仏堂らしい。多摩川34観音の20番札所とあるが御朱印は大正寺で出している。

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山門のゲートを開けて境内に入ると、地蔵堂正面には丸彫の地蔵がある。ただ文字などが何処にもなく、調布市の資料でも不詳となっている。上の写真の山門の右、塀の裏手に小さな屋根が見えるが、この屋根の下には別の地蔵菩薩が祀られている。

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この地蔵は北向地蔵と呼ばれており、まさに北方向を向いて立っている。舟型光背型で造立年は延宝8年(1680)10月とある。下部には願主名も刻まれている。

場所  調布市小島町1丁目18-4

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2023年9月13日 (水)

常演寺の石仏(調布市下石原)

天台宗の常演寺もまた旧甲州街道に面した寺院である。創建年代は不詳。明治時代以前は西から、飛田給、上石原、下石原、と宿場が並んでいた。その間にポツポツと寺院がある。多くは街道の南側にある。

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入口の写真の右端にある燈籠は仁王堂常夜燈で、嘉永3年(1850)5月に建立されたもの。かつては少し入ったところに山門もあったと聞く。燈籠の脇には堂宇がある。

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堂宇の中には丸彫の地蔵菩薩像が一基祀られている。基壇を見ると明和元年(1764)11月の建立らしい。「武刕多摩郡府中領下石原村、女中念仏三拾人」の銘がある。

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本堂へ向かう途中にあったのが、この櫛型角柱型の巡拝供養塔。「奉納 秩父西國坂東百ヶ所供養塔」とあり、安永10年(1781)4月の造立。「多摩郡下石原村 施主 越山房右衛門」と刻まれている。

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本堂手前の大きな岩の上に石仏が並んでいる。右端は舟型の聖観音像で、元禄12年(1699)9月の造立。「奉造建子安観世音為二世悉地成就也」とあり、導師花火院増信の銘がある。一番大きなものが舟型光背型の地蔵菩薩像で、貞享2年(1685)9月のもの。「念仏供養同行拾三人 多摩郡石原村」の銘がある。左から2番目は舟型の聖観音像で、これも貞享2年(1685)2月の造立。左端は欠損と摩滅で文字が読み取れないが如意輪観音像のようである。

場所 調布市下石原1丁目52-4

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2023年9月11日 (月)

踏切前の馬頭観音(調布市下石原)

京王線は近年地下化が進んでいる。調布駅の前後も、国領駅までの間、2.5㎞程が地下化した。西の端のトンネル出口の上には一反木綿のベンチがあったりしてユニークである。深大寺のゲゲゲの鬼太郎にあやかったのだろう。調布駅から西へ進む線路が地上に出て2個目の踏切の前には馬頭観音がある。

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なかなか大きな馬頭観音だが、大正14年(1925)12月建之とある。願主は関口徳蔵、関口由蔵の名が記されている。

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願主の関口徳蔵の息子が由蔵らしい。ともに馬喰(ばくろう)で馬を可愛がっていた。ある時馬を買い働かせていたら身籠っていた。間もなく子馬が産まれたが、母馬は妊娠中に働き過ぎたのか死んでしまった。仕方なく子馬に牛乳を飲ませていたところ、子馬も死んでしまった。牛乳は馬には濃すぎたらしい。その弔いにこの馬頭観音を建てたと伝えられる。

場所  調布市下石原1丁目44-1

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2023年9月 9日 (土)

源正寺の石仏(調布市下石原)

上石原の西光寺から少し東に向かって都心方向に旧甲州街道を進む。現代では国道20号線に斜めに繋がる方が都道229号線で、分岐してさらに東に進むのが都道119号線、これが旧来の甲州街道である。分岐してすぐに源正寺がある。

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本堂は近年再建されたらしくとてもきれいである。扁額には「大雄殿」と書かれた立派な本堂で脇には花頭窓もしつらえてある。主だった石仏は殆どが甲州街道に面した堂宇に祀られている。

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左側に並んでいるのが月輪を備えた丸彫の六地蔵菩薩。基壇に安政2年(1855)3月の紀年が刻まれている。かなりきれいになっているのでもしかしたら再建モノかもしれない。

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右側には、左から角柱型の庚申塔。青面金剛像と邪鬼のみの図柄である。造立年は右面に文政12年(1829)正月とあり、シンプルなもの。中央の舟型光背型の如意輪観音像は元禄6年(1693)8月の造立で、「奉造立如意輪観世音菩薩善女人」「念仏講供養金剛山源正禅寺境内」「武州多摩郡府中領下石原」と書かれている。右の笠付角柱型の庚申塔は寛延2年(1749)6月のもの。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。

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覆屋の右にある大きな角柱型の石塔は廻国供養塔。前面に「奉納大乗妙典日本廻国供養塔」とあり、左面には「武州多摩郡下石原宿 願主 太田善三郎 繁信 敬白」と書かれている。天明の浅間山の大噴火の後、国の平和を祈って立てられたものらしい。

場所  調布市下石原1丁目36-1

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2023年9月 7日 (木)

西光寺の石仏(調布市上石原)

旧甲州街道沿いにある西光寺は天台宗の寺院。天台宗に改宗したのは寛文年間(1661~1672)と伝えられるが、創建は室町時代あたりらしく詳細は不明。立派な山門をくぐるとその先には大きな仁王門が立ち、その奥に観音堂や本堂がある。仁王門は宝永年間(1704~1710)の建立とされる。

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山門脇には新選組の近藤勇のブロンズ像があるが、上石原一帯に近藤勇ののぼり旗が沢山ある。この街が近藤の生誕地らしい。山門をくぐると、左側に複数の石仏が並んで祀られている。

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一番手前の堂宇には、左から角柱型の馬頭観音がある。右に文政9年(1826)9月の造立年があり、左には施主増岡佐五兵衛とある。ちゅおうは丸彫の聖観音菩薩立像。造立年は貞享3年(1686)11月で、武州多摩郡上石原村拾九人の銘があり、「奉造立為観世音念仏供養二世安楽也同行」と書かれている。右の櫛型角柱の石塔は廻国供養塔で、宝暦7年(1757)11月のもの。武州多摩郡上石原村 願主 原孫市の銘がある。

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その右奥には六地蔵と中心尊となる地蔵菩薩像が一基。六地蔵は宝暦4年(1754)11月の造立で、武州多摩郡府中領願主上石原村 念仏講中などの銘がある。中央の少し大きな丸彫の地蔵菩薩像は巡拝塔で、「西国坂東秩父百ヶ所、四国八十八所諸仏菩薩」とあり「奉供養為二世安楽也」とある。造立年は元文3年(1738)2月と台石に刻まれている。

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一番奥の堂宇には舟型光背型の地蔵菩薩像があり、こちらは貞享2年(1685)5月の造立。「奉造立為地蔵一躰念仏講供養同行廿九人」「武州多摩郡上石原村」の銘がある。後ろにあるのは板碑だが、こちらは詳細不明。右は櫛型角柱型の庚申塔である。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄で、享保17年(1732)11月の造立。「庚申供養塔 奉造立所願成就攸」「武州多摩郡上石原村下宿講中」とある。

場所  調布市上石原1丁目28-3

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2023年9月 5日 (火)

浄水場前の馬頭観音(調布市富士見町)

国道20号線、天文台通りそして中央自動車道が交わる上石原交差点から天文台通りを北進、40mほど先の分岐点の植込みに石仏がある。天文台通りの斜め向かいは浄水場で、石仏の傍には「浄水場」バス停がある。

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この自然石の石仏には、「駒形大明神」と「馬頭観世音」という二つの名前が刻まれており、双体神となっている。駒形も馬頭も牛馬の意であろうから、同じものを示している感がないでもない。右には「保食神止申天牛馬及五穀移植主賜布尊神奈里」とある。下部には「右ハ じんだいじ道、やぎさわ道」「左ハ おふさわ道、ところさハ道」とある。深大寺、柳沢、大沢、所沢の意であろう。

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裏には嘉永5年(1852)10月再建とある。基壇にも文字があるが土中に埋まり読めない。資料によると、上石原村と上飛田給村の馬持が発起人らしい。「府中観音講、馬▢労連中、・・・」などの文字が土中に埋まっているようだ。

場所  調布市富士見町1丁目20-3

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2023年9月 3日 (日)

道正塚(調布市上石原)

上石原交差点は国道20号線と天文台通りの交差点だが、頭上には中央自動車道が走る立体的な交差点である。その交差点の一角に不思議な石柱が立っている。正面には「道正塚」と刻まれている。

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角柱の裏面には昭和9年(1934)4月建之とある。どうも言い伝えでは分倍河原の合戦を埋葬した跡という説もある。元は少し違う場所に在ったようだが(調布市の資料では塚は上石原1丁目53番地にあったが、その場所に家を建てた人が供養造立したとある)、ここに落ち着いたという雰囲気である。かつてこの近くには山王様があったという。前述の道生神社の道祖神で取り上げた、道生神社の前身がこの山王様ということになるのだろう。今は言い伝えも想像できないほどの交通量が過去を見えなくしている。

場所  調布市上石原1丁目35-10

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2023年9月 1日 (金)

大師堂の石仏(調布市上石原)

調布市にある味の素スタジアム南東、国道20号線を越えたエリアに墓地がある。西光寺の下寺で大師堂(寮)と呼ばれている。墓地は飛田給共同墓地で、おそらくは西光寺の境外墓地ではないかと思われる。

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「この先行き止まり」と出ているが構わず進んでいくとやや広めの墓地に入る。左の樹木の脇にあるのが大師堂であろうか。その脇の墓地の入口に地蔵菩薩が祀られている。

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右の仏形座像は墓石のようである。紀年は文化14年(1817)11月とあり戒名が刻まれている。仏形像は法界定印を結んでいるが、薬壺のようなものを抱いているので薬師如来と言いたいところだが見た目が異なる。左の丸彫の地蔵菩薩立像は、明和8年(1771)11月の造立で、正面には「大乗妙典六十六部日本廻国」とあるので巡拝塔。「武刕多摩郡上石原村 行者 慈性」の銘がある。

場所  調布市上石原1丁目1-8

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