調布市柴崎の野川近くにある浄土宗寺院の光照寺は創建年代不詳ながら、江戸時代初期に浄土宗寺院として始まったという。それ以前にも何らかの寺院であったようだが詳細は分からない。江戸時代は喜多見の江戸氏ゆかりの慶元寺末であった。
参道入口に多数の庚申塔などがあるが後述。参道を直進すると本堂がある。寺の詳しい歴史は分からない部分が多いらしいが、柴崎稲荷神社の辺りにあった三界寺という修験寺が元だったという話もある。1300年代の板碑も複数所蔵されているようで、実際に古い歴史があるのだろう。
境内に1枚だけ板碑が置かれている。この板碑は貞和4年(1348)3月の造立で、時代は南北朝時代になる。由緒ある板碑らしく、説明板には「新田義宗公城下→岡崎松平家→西山庄松平家→調布松平家→光照寺」と移されたとある。岡崎松平家は徳川家康の一城で、西山庄はおそらく西山荘で水戸黄門、という風にビッグネームに絡んだものらしい。
板碑の近くには覆屋があり2基の石仏が祀られている。左は元禄10年(1697)8月造立の舟型光背型の聖観音像。「妙心信女」とあるが墓石かどうかは分からない。右の舟型光背型の地蔵菩薩像は宝暦11年(1761)4月の造立で、「當村女講中」と刻まれている。地域では「いぼとり地蔵」と呼ばれているようだ。
無縁仏が建ち並ぶ中に角柱型の馬頭観音があった。造立年は天保3年(1832)11月。「世話人 稲毛講中 惣村中」「願主 佐保田利右衛門」と書かれている。
参道入口に並ぶ石仏群を右から。一番右(本堂側)は駒型の庚申塔で高架5年(1848)3月のもの。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、側面には「奉造立庚申供養 柴崎村」とある。昭和40年代に柴崎1-20-1から移されたという。光照寺から100mあまり東の路地の角にあったようだ。左側は丸彫の地蔵菩薩坐像で文政11年(1828)11月の造立。基壇に芝崎村とあり、俗名があることから墓石だったのだろう。
その左隣は駒型の庚申塔で元禄14年(1701)10月の造立。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、右面に「奉納庚申供養為二世安楽諸衆敬白」とある。左の大きな笠付丸柱の庚申塔は貞享元年(1684)10月のもの。日月、青面金剛像と三猿のシンプルな図柄だが、この並びでは最古。「奉納庚申供養」の文字がある。
道路側から二番目の庚申塔は駒型の小型のもので、宝暦11年(1761)4月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、日の部分が欠けている。側面には願主銘があり鴨志田姓が多い。一番道路側は少し大きめの駒型庚申塔で、元禄4年(1691)9月の造立。日月、青面金剛像、三猿が描かれており、「奉寄進庚申供養」の文字があり、こちらの下部の願主名は相田姓が複数ある。
場所 調布市柴崎1丁目38-2
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