金龍寺の石仏(調布市西つつじヶ丘)
国道20号線から続く参道の先に豪華な山門を抱く曹洞宗の金龍寺は寺伝によると建永元年(1206)の創建とされる。江戸時代初期から禅寺として金子村の有力寺院であったようだ。山門は朱塗りの見事なもので、金色に輝く阿吽の仁王像が立つ。
曹洞宗の寺院としては珍しいきらびやかな雰囲気だが、開かれた感じがして好ましい。山門をくぐると正面に本堂があり、右奥に墓所が見える。石仏は本堂前の向かって右側に並んでいる。
一番手前にあるのが背の高い舟型光背型の庚申塔。造立年は貞享元年(1684)9月と古く、青面金剛像に三猿の図柄で左手にはショケラを下げている。下部には7名の願主名が刻まれており、鴨下姓が多い。
左隣の紫陽花の樹の下には角柱型の馬頭観音がある。造立年は大正2年(1913)9月で、左側には願主小林泰蔵の銘がある。
その左に立つのは丸彫の地蔵菩薩坐像で子供を抱いている。造立年は明治30年(1897)10月とあり、基壇正面には「為禅亮恵戒尼上座菩提」とある。右側には「永代施餓鬼料 金拾圓寄付 西多摩郡福生村阿部暉女建立」と書かれている。
その先の覆屋には3基の立派な石仏が祀られている。右は舟型光背型の聖観音像で延宝9年(1681)3月の造立。中央は薬壺を持つ丸彫の薬師如来像で正徳6年(1716)6月の造立。「奉造立瑠璃光如来尊像」「武蔵国金子村住人 石井宗三為二世菩提也」と刻まれている。左の舟型光背型の地蔵菩薩像は寛文4年(1664)3月と古いもので、元は墓石らしい。
反対側の植込みの奥には地蔵堂があり、中を覗くと駒型の地蔵菩薩像が祀られていた。造立年は天保14年(1843)9月とあり、天保年間、文化年間に亡くなった女性と子供の戒名が刻まれている。
場所 調布市西つつじヶ丘2丁目14-1
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