祇園寺の石仏(調布市佐須町)
甲州街道布田にある八雲台小学校の東側から佐須街道の柏野小学校前を結ぶ2車線路は短いながらも祇園寺通りという名前が付いている。天台宗の祇園寺は北寄りの柏野小学校近くにある古刹。戦前まではこの辺りは一面田んぼの広がる地域で、その中の微高地に祇園寺がある。
祇園寺は深大寺を開創した満功上人が開いたと伝えられ、創建年は天宝勝宝2年(750)というから奈良時代後期。奈良東大寺の大仏建立が天宝勝宝4年(752)だからそれよりも前ということになる。今は多摩地区の長閑な地域だが、当時は東海道は余り使われず、東山道が主要道で分岐して南に下りてくると、現在の府中市周辺が国府があったり、近くに国分寺があったりして、この辺りの方が都会的だったのだろう。
山門を入って左手に回り込むと古い石仏が並んでいる。上の写真の左の小さな舟型の地蔵菩薩は欠損が多く文字は読めない。右の舟型光背型の地蔵菩薩像は寛文13年(1673)8月の造立で、「奉念仏供養 同行十四人」の文字がある。
その右にあるのが舟型光背型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉納庚申供養 為二世安楽」の文字がある。左側には元禄15年(1702)9月の造立年と、「佐須村」の銘が刻まれている。右側の小さい方は舟型光背型の阿弥陀如来像。造立円は延宝4年(1676)3月の造立で、「道沓禅定門霊位▢為也」の文字と「施主 田中▢」の文字があるのでこれば墓石だろう。
本堂向かって右側には「板垣退助植樹の松」という2本のアカマツがある。明治41年(1908)に秩父事件をはじめとする自由民権運動の犠牲者を追悼する集会が行われ、その時に板垣退助によって植樹されたものらしい。
場所 調布市佐須町2丁目18-1
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