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2023年11月30日 (木)

観音寺の石仏(三鷹市北野)

北野庚申堂を管轄する寺院が曹洞宗の観音寺。北野庚申堂から南東へ数百mほどのところにある。お寺の入口が市境で、山門に向かって左側の電柱には「調布市緑ヶ丘2-12」の表示、向かって右側の電柱には「三鷹市北野4丁目7」の表示がある。道路舗装の状態から、南西側1.5mほどが調布市で北東側が三鷹市だろう。

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寺院は訪問時境内の改修工事中で、確認できたのは通り沿いの堂宇に祀られた六地蔵と角柱型の弘法大師等「南無大師遍照金剛」のみ。六地蔵は元禄年間から正徳年間にかけてのもので、それぞれなかなかの像形である。武刕多摩郡世田谷領北野村の銘や、念仏講中供養施主同行男女92人の銘がある。

場所  三鷹市北野4丁目7-8

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2023年11月28日 (火)

北野庚申堂(三鷹市北野)

仙川の流れと中央自動車道が交わる辺りは市区境が複雑なところ。仙川河畔の天神山城跡は三鷹市北野、北野庚申堂から東へ200mほど行くと世田谷区給田、庚申堂の南50mからは調布市新川になる。現在は外環自動車道と中央自動車道のインターチェンジ工事が着々と進んでおり、北野庚申堂はインターチェンジの一画に位置するようになる。

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庚申堂の入口はとても分かりにくい。写真左の高架は外環自動車道になる部分。その脇にブロック塀があって戸建の屋敷の門のようになっているのが北野庚申堂の入口である。玄関前に立つとコンクリート製の立派な堂宇に納められているが、この堂宇は昭和49年(1974)に建立されたもの。

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正面には4基の庚申塔が並んでおり、右端は上部が欠損しているのものの日月、三猿の図柄のここでは最古の庚申塔。造立年は延宝8年(1680)9月と刻まれている。「奉供養庚申」「同行十五人」の銘が見られる。左の舟型光背型の庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、享保9年(1724)10月の造立。右側に「奉造立供養庚申待」の文字がある。

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左から二番目の背の高い駒型の庚申塔は上部に日月、基壇に三猿?と思われる彫刻がある。しかし眺めていると12猿くらいに見えてくる。造立年は宝暦13年(1763)11月で、中央には「奉供養青面金剛庚申需為二世安楽」とあるが、一部意味が分からない。左の板駒型の庚申塔は延享元年(1744)11月の造立で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。

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左隅の脇には角柱型の馬頭観世音が立っている。造立年は弘化2年(1845)とあるが他の文字は読み取れない。

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対角の右脇隅にあったのは「神」と書かれた角柱。右側面には「建之」の文字が見えるので、上部が欠損したものだろう。地神なのか水神なのか、はたまたそれ以外なのかは全く分からない。

場所  三鷹市北野4丁目15-6

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2023年11月26日 (日)

新川天神社の庚申塔(三鷹市新川)

三鷹市新川の東八道路沿いにある新川天神社、創建年代は不詳ながら、野川村天神山に鎮座していたのを寛永16年(1640)に現在地に遷座して今日に至るという。東八道路と並行して東西に延びる人見街道は府中市の若松町と杉並区の大宮八幡を結ぶ街道。野川村の天神山というのは仙川が中央自動車道を潜る北にある天神山遺跡(城跡)のことだろう。戦国時代に築かれ今でも土塁が残っているらしい。

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東八道路側から鳥居をくぐると社殿は彼方突き当りの右手にある。天神様なので勿論菅原道真を祀っている。江戸時代初期に台風で天神山の社殿が大破したので移転し、元禄時代に再建、明治時代には村社に昇格した。

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鳥居の左手に進むと庚申塔が祀られている。古いもので、舟型で日月、そして三猿のみの図柄である。造立年は延宝8年(1680)9月とあるので、遷座してから間もなくの時代である。「奉供養庚申」の文字があり、下部には10人ほどの願主名が刻まれている。

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今回戸惑ったのはこの黒御影石に載せられた2基の石仏。右の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は宝暦7年(1757)とあり、右側面には「右天神みち 多摩郡瀬田谷領 野川村領主 武右門」、左には「左 神大寺みち 講中拾貮人」とある。これはここから南へ進んだ新川2丁目2番地の角にあったもので、何らかの理由でここに移設されたもの。脇の破片もどうやら青面金剛像の道部分で右下に鶏の上部が見える。これも同じ場所に在ったもの。確認のため、その場所に行ってみると戸建の新築が建築中であった。

場所  三鷹市新川2丁目1-21

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2023年11月24日 (金)

火の見櫓の庚申塔(三鷹市牟礼)

牟礼6丁目の都道110号線と都道134号線の分岐の少し西の辻に三鷹市消防団第五分団の施設があり、火の見櫓が立っている。手前の都道の分岐もこの火の見櫓の辻も江戸時代からの道筋で、昔から往来のあった場所。火の見櫓の脇に小屋根があり、石仏が並んでいる。

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左端は説明の碑だが、屋根の下にあるのは庚申塔が2基、とあと小さな庚申塔の一部がある。左側の背の高い擬宝珠までしっかりとある笠付角柱型の庚申塔は、造立年が元禄5年(1692)9月とある。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉造立庚申供養攸 結衆 敬白」の文字がある。下部には沢山の願主名がある。

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この庚申塔の基壇の右下に頂部だけが見えているのもどうやら庚申塔らしい。見えているのは一猿(不聞猿)の上半身のみで、下半身は石とコンクリートで固められている。もしかしたら見えない(あるいは欠損した)下部に2猿があるのかもしれないが、全く分からない。

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右側の笠付角柱型の庚申塔の造立年は、元禄3年(1690)9月とある。こちらも日月、青面金剛像、三猿の図柄で、青面金剛の顔面が壊されているのが残念である。右側には「奉供養庚申二世安楽所」の文字、左側には「武刕多摩郡牟礼村結衆等敬白」の文字がある。

場所  三鷹市牟礼6丁目1-3

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2023年11月20日 (月)

大盛寺別院の石仏(三鷹市牟礼)

大盛寺別院は牟礼にあるが、大盛寺は井の頭にあり、井の頭公園のすぐ南側である。井の頭弁財天から公園の外に出るとすぐに大盛寺になる。とはいえ牟礼のこの場所から本院までは1.5㎞程の距離ながら昔からの街道筋で結ばれていた。

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墓所の北側を走る都道110号線側から入ると、両脇に3体ずつの六地蔵が迎えてくれる。造立年は不詳。花がいっぱいに供えてあり台石の文字が読めない。資料によると、念仏講中による建立で、秩父坂東西国の巡拝供養塔として建てられたらしい。

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別院の建物の脇に複数の石仏が並んでいる。墓所側にあるのが丸彫の地蔵菩薩像で、享保4年(1719)霜月(11月)の造立。「▢供養地蔵念仏講中」「武刕多麻郡無礼村」の文字があるが、牟礼を無礼と書き間違えた石仏がいくつかあるのが興味深い。右の角柱型石塔には「大乗妙典千部塔」とある。こちらは弘化4年(1847)仲春(2月)の紀年がある。

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向かいにあったのが角柱型の不動明王像。こちらは嘉永5年(1852)2月の造立。角柱型の不動明王像はあまり見かけない。台石には多くの願主名が並んでいるが板橋姓が7名もあった。

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墓地脇にあったのがこの隅丸角柱型の石塔。これは墓石ではないようである。「浄心念仏請中」とあり、文化4年(1807)5月の造立年が刻まれている。三鷹市の資料を見ると念仏塔となっているが、どんな目的で建てられたのだろうか。

場所  三鷹市牟礼2丁目14-16

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2023年11月18日 (土)

牟礼二丁目の地蔵(三鷹市牟礼)

牟礼に丁目の交差点に地蔵堂と道供養塔がある。後ろはモダンな歯医者さんで、地蔵堂とのコントラストが面白い。北東側の道は上りだがその先には玉川上水がある。牟礼二丁目交差点辺りよりも玉川上水の方が標高が3mほど高い。用水路というのは高い所を流れていないと農地への水の供給が出来ない。北東側の小山を越えると上水である。

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地蔵から西側は平坦な地形。この辺りは中山谷、西山谷といって、昔は田んぼが広がっていた。この辺りはかつての烏山川の源頭のひとつである。牟礼という地名の由来は盛り上がった土地を指すという説もあり、東の小高いエリアを元々牟礼と言ったらしい。さて地蔵堂の地蔵だが、丸彫で造立年は正徳3年(1713)10月と古いもの。「奉納大乗妙典六十六部供養」とあり、「武刕多摩郡中野領牟礼村」の銘がある。かつて地蔵の頭部がなくなったので昭和45年(1970)に石屋に小早川トメさんという方が注文して修復したらしい。

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脇にある角柱型の道供養之塔と大きく書かれている石柱は、文化9年(1812)6月の建之。後ろに「三ヶ年間 村中庚申待講銭を以て助力」とあるので庚申講中が築いたものだろう。ただ、角筈新町の銘もあり、新宿の角筈と牟礼との関係が今一つ分からない。

場所  三鷹市牟礼3丁目8-18

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2023年11月16日 (木)

欅の下の庚申塔(三鷹市牟礼)

東八道路の三鷹台団地の近くの辻に三角地があり、ケヤキの木が立っている。その足元には角柱型の庚申塔がある。一見、笠欠の角柱型かと思ったが、どうもそうではないようである。

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この角柱型の庚申塔は明和3年(1766)4月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄。野ざらしだが保存状態は良い。左側面には「奉石橋供養 講中38人」とあり「願主 浅野門右衛門、高橋兵右衛門」の銘がある。

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この辺りは昔は東山谷と呼ばれた地域で、田畑の広がる農地だった。地形図を読み込んでいると、どうもこの辺りは目黒川の支流であった烏山川の源頭のひとつらしい。この場所の標高が51.5m、千歳烏山駅あたりが47.7m、蘆花恒春園あたりが41.2mとなっており、緩やかな小川だったのだろう。

場所  三鷹市牟礼5丁目4-45

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2023年11月14日 (火)

東八道路の庚申塔(三鷹市牟礼)

高井戸から西へ伸びる新しい道路が東八道路で東京と八王子市を結ぶことからそう呼ばれる。しかし私が若い頃は東八道路ではなく新甲州(街道)と呼んでいた。国道20号線のバイパスだからである。しかし周りに人口が集中するようになって決してバイパスではない道路になった。近年、ようやく環八高井戸から牟礼までがきれいに繋がって走りやすくなった。玉川上水と絡むあたりはもとは人見街道という細い道だったのだが、今では片側2車線の広い道になった。

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玉川上水と離れて少し西に行くと角に説明板と共に角柱型の庚申塔が立っている。山型の角柱で正面には「南無妙法蓮華経庚申供養之所」とあり、並んで「奉建立石橋二カ所 武▢多麻郡無礼村同行23人」とある。無礼とはもちろん牟礼のことであろう。また左脇には享保17年(1732)11月の造立年と「真福寺妙賢院月縁」と書かれている。

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右側面には「是より古く婦ん寺道(国分寺道)」、左側面には「是よ里ふちう道(府中道)」とある。この庚申塔は元は旧人見街道沿いにあったものらしい。庚申塔のある角にあるのは小林家の大邸宅で、庚申塔も小林家も人見街道のランドマークのような存在だったのだろう。

場所  三鷹市牟礼1丁目8-13

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2023年11月12日 (日)

どんどん橋の供養塔(三鷹市牟礼)

江戸時代の一大水道事業であった玉川上水。久我山から西進すると、東八道路にあたる。この東八道路沿いに流れているのが玉川上水で、羽村から取水し新宿御苑の大木戸までの見事な水道である。東八道路の脇に古い細い橋が残っている。この橋をどんどん橋と呼ぶようだ。

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橋の傍に立っている小さい方の石塔には「どんどんはし」と刻まれている。少し左にあるのが隅丸角柱型の石橋供養塔。造立年は宝永7年(1757)11月と江戸時代中期のもの。中央に「石橋建立供養之碑」とある。左側面にある寛政9年(1797)8月と嘉永2年(1849)4月の年号は橋が再建された年号らしい。

場所  三鷹市牟礼1丁目6番地先(三鷹市資料による:但し地図によると橋のこちら側は三鷹市井の頭1丁目7番地先)

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2023年11月10日 (金)

上ノ原五差路の馬頭観音(調布市深大寺東町)

上ノ原というのは深大寺村の小字で、金子村から絵堂に向かう道が交差分岐するこの場所は昔からの辻である。この辺りは多摩川支流野川のさらに支流の入間川の源頭にあたる。上ノ原五差路の南側には谷が形成されている。ここから西へ向かうとすぐに庚申塔のある分岐になるが、その手前には大正時代まで水車があったようだ。

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辻の北西の頂点にあるのが富沢商店という園芸センター。品揃えから推量るにかつてはよろずやだったのだろう。その前に在る馬頭観音は自然石の大きな石塔。造立年は昭和54年(199)5月と刻まれているので比較的新しいもの。根府川石で造られたものだが、ここには道路拡幅以前の時代には馬捨場だったらしく、発掘で数棟分の馬の骨が出たという。それでこの馬頭観世音碑を建てた。「施主 富沢木代治  施工 橋本石材」とある。橋本石材は旧甲州街道の谷戸稲荷神社の入口にある石屋さんである。

場所  調布市深大寺東町3丁目5-2

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2023年11月 8日 (水)

神代中学校角の庚申塔(調布市佐須町)

深大寺自然広場の東側には複数の学校がある。幼稚園から高校までの昇華学園、私立神代中学校、上ノ原小学校と並んでいるが、神代中学校とはす向かいの上ノ原小学校の交差点の中学校側の角に松の木があり、その下に堂宇がある。

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南北の通りは原山通りと呼ばれているが、中学校よりも南側は国分寺崖線で善並坂という名の坂道になっている。善並坂の名前の由来は江戸時代にこの辺りの地名が善阿弥だったため。原山の由来は分からないが、推量るに上ノ原あたりのことではないだろうか。堂宇は松の木側を向いているが、横から見ると中に石仏は見えない。

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堂宇を覗いてみると、破片が祀られていた。調布市の資料(昭和57年)の写真は何とか舟型の形を留め、青面金剛像と三猿は見てとれる。TATSUさんのサイトを拝見したが9年前はまだ形がある一枚だったようだ。調布市の資料によると、昭和後期でも左岸であるため風化が激しく判別困難と書かれている。大正10年(1921)頃に鉱山業を営んでいた田中氏の別荘工事の折、正門近くにあった庚申堂を移したという。元の場所は今の中学校の校門あたりのようだ。

場所  調布市佐須町5丁目26-1

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2023年11月 6日 (月)

三叉路の庚申塔(調布市神代市南町)

神代植物公園通りは昔からの古道である。金子村の段丘下から崖線を上り、西に進む。途中、絵堂への道と分岐する三叉路がある。この分岐の頂点に覆屋があり、庚申塔が祀られている。

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右の道が神代植物公園通りで左が絵堂への道である。左の道は絵堂を抜けて青渭神社に至る。青渭神社は平安時代初期、菅原道真が生きていた時代にはすでにあったと言われる古社。国分寺崖線の湧水に因んで青渭神社となったものと思われる。

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角柱型の文字庚申塔で、正面上部に日月が描かれ、その下に「青面金剛」とある。右面には寛政4年(1792)11月の造立年と共に「右 大さわみち」とある。左面には「庚申待老・・・・・廿六人」そして「左 深大寺道  願主 富沢元・・」とあるが摩滅がかなり進行している。地元では第六天と呼んで庚申講を開いていたようだが、一説には性病系に御利益があると信じられ芸者衆がお参りに来たと伝えられる。

場所  調布市深大寺南町3丁目16-5

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2023年11月 4日 (土)

絵堂法性院の石仏(調布市深大寺南町)

かつての深大寺村は宿、山谷、又住、野ヶ谷、絵堂の5つの地域から成っていた。絵堂は東の端にあたる地域で、現在は中央自動車道が台地を切通しにして分断している。甲州街道滝坂から深大寺に繋がる道は古道で、絵堂はこの古道に沿って民家が広がった。その道沿いに絵堂第一なかよし広場があり、広場の奥に小堂がある。これが法性院で脇には地域の集会所がある。

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中央の堂宇には丸彫の地蔵菩薩がある。文字は皆無だが古い地蔵菩薩である。その左にある笠付角柱型の大きな石塔は廻国供養塔。「奉納大乗妙典六十六部日本回国」とあり側面には「深大寺村 俗名 榎本三郎兵衛」とある。造立年は明和8年(1771)10月である。

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右端にあるのは駒型の庚申塔である。ゼニゴケがまるでペンキを塗ったように前面に広がっている。造立年は元禄6年(1693)10月で、日月、青面金剛像、三猿の図柄である。尊像右には「奉建立庚申供養二世安楽所」とある。絵堂の地名だが、もともとこの広場は墓地だった場所で、昔深大寺の絵馬堂があったので絵堂という名前になったと伝えられる。

場所  調布市深大寺南町5丁目9-2

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2023年11月 2日 (木)

阿弥陀堂跡の石仏(調布市深大寺南町)

調布市の佐須街道の北側、中央自動車道との間にある森が深大寺自然広場で、西半分が自然広場、東半分がかに山キャンプ場になっている。かに山キャンプ場はデイキャンプ場で調布市在住か勤務・学校が市内の人のみが使用できる。エリア全体が崖線になっており森が広がっている。野川の河岸段丘で国分寺崖線の一部である。自然広場の中央を上る坂がひきずり坂という坂で、崖線上と崖線下を結ぶ古くからの道。高低差は15mほどある。

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キャンプ場の真南から崖を上る道が阿弥陀堂の坂という階段坂。二つの坂の間の崖線の下に覆屋がある。そこには4基の石仏が祀られている。昔はこの辺りに稲荷神社もあったようで、資料によると昔は本名主富沢家ほかの墓所であったという。阿弥陀堂も立っていたので坂名に残されているに違いない。

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左端は駒型の庚申塔、上部が欠損している。造立年は元禄8年(1695)で月の部分が欠損。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、右に「奉納申庚供養」とある。庚申の文字が上下入れ替わっている誤字は初めて見た。江戸時代の誤字は甚だしいものがあるがこれは珍しい。二番目は丸彫の地蔵菩薩で寛保元年(1741)7月造立。基壇に「観阿悠授徳 施主富村▢拾人」とあるが意味は不明。右から二番目の丸彫地蔵菩薩は安政3年(1856)7月のもので「願主富澤伊兵衛」とある。右端の新しい丸彫地蔵は昭和55年(1980)4月で「願主会田力蔵」とある。

場所  調布市深大寺南町2丁目10-4

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