どんどん橋の供養塔(三鷹市牟礼)
江戸時代の一大水道事業であった玉川上水。久我山から西進すると、東八道路にあたる。この東八道路沿いに流れているのが玉川上水で、羽村から取水し新宿御苑の大木戸までの見事な水道である。東八道路の脇に古い細い橋が残っている。この橋をどんどん橋と呼ぶようだ。
橋の傍に立っている小さい方の石塔には「どんどんはし」と刻まれている。少し左にあるのが隅丸角柱型の石橋供養塔。造立年は宝永7年(1757)11月と江戸時代中期のもの。中央に「石橋建立供養之碑」とある。左側面にある寛政9年(1797)8月と嘉永2年(1849)4月の年号は橋が再建された年号らしい。
場所 三鷹市牟礼1丁目6番地先(三鷹市資料による:但し地図によると橋のこちら側は三鷹市井の頭1丁目7番地先)
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