連雀通りの地蔵(三鷹市下連雀)
都道134号線通称連雀通りは古い道。江戸時代からの街道筋で、玉川上水の北には五日市街道、南に連雀通り、さらに南には人見街道が東西を結んでいた。下連雀は東側、上連雀が西側になる。明暦の大火で江戸の街を出た神田連雀町の商人たちがお鷹場の原野を開墾して定住したのが村の始まり。江戸時代の名付パターンで京都に近い方を上、遠い方を下とした。
連雀通りに面した角に覆屋があり、2基の地蔵が祀られている。交差する南北の道も昔からの道で、この辻あたりは昔は通筋と呼ばれた。堂宇の中の地蔵菩薩はどちらも丸彫の地蔵である。
左の地蔵は享保15年(1730)11月の造立でかなり傷んでいる。基壇の文字は「日本廻国六十六部」とあり、「武刕多摩郡下連雀村」の銘がある。右の地蔵は享保15年(1730)10月のものを、昭和13年(1938)11月に再建したものである。こちらも「日本廻国六十六部 下連雀村」と刻まれている。
場所 三鷹市下連雀7丁目6-32 map
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