« 鎌倉街道の庚申塔(府中市本町) | トップページ | 井の頭辻の地蔵(三鷹市井の頭) »

2024年1月25日 (木)

井の頭弁財天の石仏(三鷹市井の頭)

井の頭公園の池の西の端にあるのが井の頭弁財天。天慶年間(938~946)に関東源氏の源経基がここに弁財天を安置したのが始まりとされる。弁財天の周辺では関東ローム層上を流れてきた地下水が湧き出すようすを見ることもできる。この水が井の頭池の池尻から神田川となって両国橋で隅田川に出合う。

Cimg0243

手前の石橋(太鼓橋)も古いもので、文化10年(1817)5月に造られた。多少の補修はされて来たのだろうが、200年余り経ってもしっかりしているのは江戸時代の建築土木の技術と言えそうである。石橋で境内に及ぶように、弁財天は池の中の島にある。

Cimg0248

弁財天脇にある七井不動尊の太刀持ち露払いの位置にある石仏のひとつが、この角柱型の庚申塔。正面に「庚申」とあるだけで造立年等は分からない。

Cimg0249

左脇にあるのは舟型光背型の弁財天である。造立年は延宝4年(1676)正月とある。七井不動尊は堂宇の中らしいが、この七井の意味は井戸が七つということ。それだけあちらこちらから水が湧き出しているということである。弁財天はすぐ傍の崖上にある大盛寺(天台宗)の管轄だが、この弁財天が江戸時代から江戸市民の信仰の対象になっていたので、江戸時代以降が隆盛だったのだろう。

Cimg0250

七井不動尊の裏手には3基の地蔵菩薩が並んでいる。右の地蔵は新しいもので、昭和53年(1978)10月建之とある。中央の地蔵菩薩は造立年不詳。左の地蔵尊も造立年は不詳である。ただ左の地蔵については、公園内から掘り出されたものを安置したようだ。

Cimg0251

弁財天横には宇賀神像が祀られている。おそらく正式には「人頭蛇体蓮葉上丸彫像」というのだろう。明和4年(1767)9月の造立で、台石には凄い人数の願主名が刻まれている。江戸町内の多数の商人が寄進をして建てたものなのだろう。この名前を見ても井の頭弁財天が江戸市民の深い信仰にあったことが分かる。

場所  三鷹市井の頭4丁目1  map

| |

« 鎌倉街道の庚申塔(府中市本町) | トップページ | 井の頭辻の地蔵(三鷹市井の頭) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 鎌倉街道の庚申塔(府中市本町) | トップページ | 井の頭辻の地蔵(三鷹市井の頭) »