善明寺の石仏(府中市本町)
南武線と武蔵野線が連絡するJR府中本町駅。鉄道開通以前は南北に府中街道(川崎街道)が通り、東西は古甲州街道(江戸時代初期以前)が通る交通の要衝であったのは同じである。古甲州街道は江戸時代になると大國魂神社の入口を東西に走る旧甲州街道に取って代わっていった。この辺りが中心部であったことは現在も残る府中市役所前の高札場跡から知ることができる。
善明寺は高札場跡から200mほど南西にある天台宗の寺院。創建年代は不詳だが、かつては大寺だったようだ。山門はちょうど河岸段丘の崖上にあり、眺望はすこぶる良い。現在は比較的こじんまりとした寺院だが、境内はきれいに整備されていて、門前の清水下小路は南武線の線路を見下ろす気持ちのいい散歩道になっている。
山門をくぐって右手には大きな石仏石塔がある。左の題目塔(名号塔)は慶応2年(1866)2月のもので、正面には面白い字体で「南無阿弥陀仏」とあり、台石には「郷中安全」と刻まれている。右は笠付角柱型の庚申塔。造立年は摩滅して見えないが9月という文字が見える。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、以前は山門の外にあったものを移したらしい。
更にその奥にあったのが、自然石で造られた馬頭観世音塔。文政11年(1828)9月の造立で、「南無馬頭観音大士」の文字。「本町篤信講中」の文字もある。交通の要衝に位置しているので、馬頭観音は自然な感じ。この馬頭観音ももとは西側の土手上にあったという。
山門から入って左手にあるのが3基の地蔵菩薩。ひときわ背の高い地蔵半跏像は慶応3年(1867)10月の造立。三界万霊塔でもある。本町の願主名が刻まれ、染屋村の石工によるものらしい。左端の舟型地蔵は摩滅が進んで文字が読めない。中央の舟型光背型の地蔵は墓石、元禄8年(1695)正月の紀年が入っている。
場所 府中市本町1丁目5-4 map
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