文化会館前の庚申塚(武蔵野市中町)
五日市街道沿いには明暦の大火以降に人々が住み始めた。吉祥寺駅から西に進むと、武蔵野八幡宮あたりが上本宿で吉祥寺宿の西の端。そこから中野田、大野田という古い字名になり、武蔵野市眠文化会館の辺りは大野田と西窪の境になる。現在は武蔵野市役所と三鷹駅を結ぶ道がズレたクランクの交差点になっているあたりから西が西窪である。
平成後期に祠を新調したらしいが、今でも造形の豊かな庚申塚。明治初期の地図を見てみるとちょうどこの辺りは民家が途絶えたところで、そのおかげで土地があったので文化会館や向かいの図書館などの大きな公共施設が出来たのだろう。
堂宇に祀られている庚申塔は駒型の文字塔。正面には日月と「庚申塚」の文字がある。右側面には嘉永6年(1853)2月の造立年が刻まれ、左には「施主 森田弥十郎」の銘がある。武蔵野市の歴史は江戸町民の移転が始まりだが、吉祥寺以外にも、武蔵野で最初に村が出来た西久保も、明暦の大火よりも少し前に港区西久保城山町の住民が火災で焼け出され移ってきて開墾した地域である。
場所 武蔵野市中町3丁目5-12 map
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