下河原墓地の石仏⓶(府中市南町)
下河原共同墓地の石仏については数が多いので二つに分けさせていただいた。こちらは向かって右手の列に並ぶ石仏である。どうも傷みが激しく文字も確認しづらい為、府中市の資料に依るところが多くなる。
右側が入口になる。一番右は顔が欠損した地蔵菩薩像だが詳細は不明。中央の背の高いのは駒型の庚申塔で一面ゼニゴケに覆われている。造立年は明治17年(1884)4月で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。左側に加藤治左ヱ門建之とある。左側の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、二鶏、三猿が描かれており、造立年は享保10年(1725)3月。「講中17人」の文字がある。
その先に並んでいたのは、舟型の地蔵菩薩だがこれは墓石のようだ。その隣は角柱型の庚申塔で「庚申塔」の文字の一部が見える。造立年は文化8年(1811)10月で、上部がかなり欠損している。左隣の石仏もほぼ破損と摩滅で不詳。一番左は寛保2年(1742)4月の紀年が見られるが墓石らしい。
現在は墓地の南に幼稚園があり、その向こうにバス通りが通るが、昔はこの墓地の前の道が主要道で、中川原から多摩川河畔の分倍河原古戦場に沿って、東は今は郷土の森になっている芝間に繋がっていた。
場所 府中市南町3丁目51-4 map
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