井口院の石仏(三鷹市上連雀)
連雀通りの神明社の脇の参道を進むと井口院に入る。真言宗の寺院で、中野宝泉寺の末寺。連雀周辺を開拓した石神井村の井口八郎左衛門春重が宝泉寺の和尚を迎えて寛永12年(1672)に開山した。
山門をくぐると正面に本堂があるが、その手前に弥勒菩薩坐像が祀られている。この弥勒菩薩は文政11年(1828)3月の建立で、下連雀村、上連雀村、野崎村、深大寺新田、井口新田の人々が、雨乞いの為に建てたものである。
山門をくぐってすぐ、左側に地蔵堂がある。中には沢山の地蔵菩薩が祀られている。中央の大きな丸彫の地蔵菩薩は享保6年(1721)9月造立。基壇は見えなかったが資料によると、「再建施主念仏講中、武刕多摩郡蓮雀前新田村念佛講中、奉供養為二世安楽」とあるらしい。六地蔵は明治5年(1872)~明治6年(1873)の造立で、「上蓮雀村元井口新田」の銘がある。
六地蔵の左手前には2基の地蔵菩薩があるが、手前の地蔵菩薩は子育地蔵尊で、昭和12年(1937)秋彼岸の造立。「子相田鉄五郎氏在世中百万遍ノ念仏称名發履‥」とある。この地蔵は昭和6年に往生した妻を想って建立したものらしい。右の地蔵は詳細不明。
向かって右手前にも2基の地蔵がある。左の大きい方は新しいもので幼児を抱いている。昭和52年(1977)6月の建之で、「追福供養」とあり2名の戒名がある。右の地蔵は詳細不詳。
地蔵堂の左側には複数の馬頭観音が祀られていた。左端の新しい三面八臂の馬頭観世音菩薩は詳細が分からない。その右にある1mほどの自然石平板の石碑も馬頭観音で、こちらは大正10年(1921)11月の造立。馬名は敷島、そして朝日という名がある。施主は加藤長次郎。
右奥の2基も馬頭観音。左の隅丸角柱型の文字塔「馬頭観世音」は大正3年(1914)7月のもので施主名は齋藤由五郎とある。右の角柱型の馬頭観音は明治8年(1875)3月の建立。上連雀村井口新田の銘がある。明治初期の地図を見ると、当然井口院も神明社もあるが、連雀通りには民家が並び、その後背は畑地が広がっていた。とれた農産物を牛馬で都心に運んでいたのだろう。
場所 三鷹市上連雀7丁目26-26 map
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