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2024年2月12日 (月)

府中郷土の森の石仏(2)

郷土の森にある石仏の後半。まずは前述の庚申塔の裏手にある、まいまいず井戸を訪ねた。まいまいず井戸と呼ばれるのはここだけではなく、武蔵野台地に多く掘られた井戸の一種である。直径数mから数十mの大きな穴を掘削し、火山の河口のようにする。窪地の底が出来てそれからようやく井戸を掘るのである。

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井戸に下りる道は渦巻き状に造られているので、かたつむり=まいまいということでまいまいず井戸である。武蔵野は広義には多摩川と荒川の複合扇状地で、台地の標高よりも数m~十数m低いところに地下水脈が流れている。昔の武蔵野に暮らす人々はこの地下水脈を掘り当てて生活用水にしていたのである。

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まいまいず井戸を出て南に向かうと人工河川がある。小川だが古の雰囲気を再現している。流れを越えて少し上るとその先には樹木園が広がっている。その入口の角に笠付角柱型の庚申塔が立っている。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、正徳3年(1713)11月の造立。「奉造立庚申宝塔武州多麻郡府中領之内人見村同行25人」とある。元は若松4丁目にあったらしく、多摩墓地の南、人見街道沿いだろう。

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萩のトンネルを潜るとその先には旧越智家住宅が移築されている。ハケ(崖線)の下にあった農家で、武蔵野の屋敷森の雰囲気を残してくれている。越智家住宅の前には古い舟型光背型の地蔵尊がある。造立年は寛文10年(1670)と月古いもの。元は府中競馬場前駅近くの普門寺にあったらしい。「尊容一躯二世安楽所施主部首府中新宿念仏講中34人」という文字があるようだがかなり薄れている。

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その先の田んぼの手前にあったのが写真の石橋供養塔。但し下部に三猿が陽刻されている。造立年は享保19年(1734)3月で、「供養石橋」の文字の脇に「武州多摩郡下染屋村」の銘がある。この供養塔は、旧下染屋の水田のあぜ道の小石橋脇にあったらしい。

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石橋供養塔の前の田んぼの脇にあったこの道標は大正12年(1923)建立の道標。元の場所は押立5丁目とある。調布市との市境の近くである。博物館がリニューアルオープンしたら再訪したい。

場所  府中市南町6丁目59  map

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