武蔵野八幡宮の石仏(武蔵野市吉祥寺東町)
武蔵野市の五日市街道にある武蔵野八幡宮はもともと水道橋にあった神社。明暦の大火で檀家衆が焼け出されて現在の吉祥寺に移ってきたのと同じように、水道橋付近から現在地に寛文年間(1661~1672)に移転してきた。それいらい吉祥寺村の鎮守として守られてきた神社である。
水道橋での創建年は延暦8年(789)と伝えられ、奈良時代の末期(長岡京時代)と古い。鳥居の脇には巨樹が見上げる高さにそびえている。その手前、五日市街道から入った参道の左手に石仏石碑が祀られている。
手前は2mほどもある井の頭弁財天への道標。「神田御上水井之頭辨財天」と記されており、造立年は天明5年(1785)3月。五日市街道から井の頭弁財天へ参詣する人々のために建てられた道標で、昔は八幡宮の対角に立っていたもの。大正時代に道路拡張工事のために井の頭通りと雉乗寺通りの交差する吉祥寺駅前交差点(当時は踏切)に移転。その後、昭和44年(1969)には江戸東京たてもの園にあった武蔵野郷土館に移され、平成20年(2008)に元あった傍の現在地に落ち着いた。
道標の奥には覆屋があり、笠付角柱型の庚申塔が祀られている。かなり傷みが激しく、文字はほとんど読めない。中折れの跡もあるので戦火に見舞われたのだろうか。青面金剛像の脚がかろうじて見られるのと、その下に三猿の痕跡がある。文字が判別できないので造立年も不詳である。
場所 武蔵野市吉祥寺東町1丁目1-1 map
| 固定リンク | 0
コメント