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2024年2月24日 (土)

安養寺の石仏(武蔵野市吉祥寺東町)

吉祥寺には吉祥寺はない、というのは知られた話である。町名の元になった吉祥寺は本駒込にある曹洞宗の大きな寺院で、室町時代に太田道灌によって開かれた。武蔵野市の吉祥寺の地名は、明暦の大火(1657)に焼け出された門前町の町民が移転する土地として与えられた折に、吉祥寺の信心からその名を村名にしたことによる。

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安養寺は吉祥寺駅の北口を通る五日市街道に面した寺院で、吉祥寺駅からも近い。宗派は真言宗の寺院で、創建は江戸時代初期とされている。おそらく吉祥寺村が開墾されてからの開山だろう。

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参道を歩いていくと山門の手前に古い石仏石塔が並んでいる。一番手前は大きな念仏車。説明板の下にあるのは板碑型の石塔だがどうやらこれは墓石らしい。元禄7年(1694)5月に亡くなった女性を弔っている。その右は馬頭観音と思われるが、大きく剥離してしまっていて詳細は分からない。造立年は大正11年(1922)とあるのが何とかわかる。

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写真中央の板碑型の石仏が説明板に書かれている「甲辛供養塔」である。甲辛はおそらく庚申の間違い字だろう。ただ多摩エリアでも最も古い庚申塔のひとつで、寛文5年(1666)12月の造立。当時の代官野村彦大夫により吉祥寺新田の検地を受けた翌年のもの。右の駒型庚申塔は享保4年(1719)の造立で月の部分が中折れで読めない。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「武刕多麻郡吉祥寺新田村」の銘がある。

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本堂の脇には丸彫の地蔵菩薩像が建っていた。寛保2年(1742)11月の造立で、「奉造立地蔵菩薩安楽処」とあり、「無理多磨郡吉祥寺村」の銘がある。境内にはもう1基の庚申塔、寛保元年(1741)造立があるはずだが、見落としてしまった。また吉祥寺に寄った折に探してみたい。

場所  武蔵野市吉祥寺東町1丁目1-21  map

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