下河原墓地の石仏①(府中市南町)
府中市南町を西に歩く。ふるさと通りにある大きな幼稚園の裏手に回り込むと、水路跡があり、その傍に下河原共同墓地がある。どうも寺に属さない民間墓地のようだ。この地域は多摩川河畔に広がる農地の一画で、このすぐ南の多摩川の河原が分倍河原の古戦場である。鎌倉時代後期、新田義貞が幕府軍を追い詰めて南下、ここで北条氏を打ち負かし一気に鎌倉幕府陥落に進んだ。
墓地の真ん中に地蔵堂があるが新しい地蔵が祀られている。ところがその手前に、沢山の庚申塔が左右にずらりと並んでいるのである。今回は向かって左列のもの。一番手前は大きな笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、享保13年(1728)正月の造立。かなり摩滅しているがもしかしたら鬼はあったかもしれない。三猿は埋まっている。資料では「奉造立申供養為二世安楽也 下河原村」とあるようだ。右隣りの石仏は窪みに尊像があったと思われるが欠損していた。
その隣には上部に地蔵半跏像が彫られた大乗妙典六十六部供養塔。「奉供養大乗妙典六十六部」とあり、「勢州田丸領勢子村」とある。勢州とは伊勢のこと。伊勢の西に田丸城址がある。右にあるのは舟型光背型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、宝暦4年(1754)2月の造立年がある。
更に奥に進むと、上の写真の左の石仏は駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており。造立年は享保11年(1726)3月とある。加藤家中心の願主名。中央のゼニゴケの少な目だが上部欠損の舟型光背型の庚申塔は文字が赤く塗られている。造立年は正徳6年(1716)3月で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。右端は寛延2年(1749)3月造立の舟型光背型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており。資料によると「武州多摩郡下河原村 庚申講中・・所願成就」の文字があるようだ。
場所 府中市南町3丁目51-14 map
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