円住院の石仏(狛江市駒井町)
狛江市の駒井は昔、北が岩戸村、西に緒方村、東は宇奈根村に囲まれた地域で、南を流れる多摩川の洪水に何度も苦しんでいた。ここにはかつての大山詣りの大山道のひとつが通っており、知行院~慶元寺~多摩川の渡しと人々は歩いていた。大山道が複数あるのは、多摩川の氾濫によって時代が異なると流程によって違う場所に道が造られるからである。
駒井にある円住院は日枝神社と並んでいる。明治初期の廃仏毀釈以前は寺院と神社は一体で僧侶が神社を管理するところも多かったという。1000年も続いてきた神仏習合を明治政府が破壊したのは応仁の乱で京都を焼いたこと以上に日本の損失であった。日枝神社ももとは円住院の鎮守として創建され、江戸時代は駒井村の鎮守、しかし明治4年に分離されている。円住院は天台宗の寺院で、承久3年(1221)の創建という古刹である。
本堂脇にあった丸彫の地蔵菩薩像、頭は後年再建されたもののようだが、厄除地蔵として祀られている。造立年等の文字は見当たらなかった。振り返って山門に向かうと境内の隅に3基の石仏が祀られている。右の小さな舟型光背型の石仏はひどく傷んでいるが主尊を見る限り馬頭観音と思われる。紀年等は不詳。
中央は駒型の庚申塔である。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、造立年は享保9年(1724)12月とある。「武州玉郡世田谷領駒井村施主」とあり、秋本家・古川家・伊庭家の名前が並んでいる。左側の角柱型石塔は狛江市では珍しい二十三夜塔である。市内では田中橋跡の一画に二十三夜塔があった。この石塔の造立年は天保4年(1833)2月で、正面に「廿三夜塔」とある。台石には「講中」の文字と駒井村、宿河原村の人々の銘がある。現在川崎市の宿河原は多摩川の対岸だが、昔は多摩川の流程があちこち変わっていたので、右岸左岸に同じ地名があることが多い。
場所 狛江市駒井町1丁目6-10 map
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