元応の板碑(府中市美好町)
分倍河原の光明院から光明院坂を上る。坂道は南武線の踏切を過ぎてさ緩やかになり、間もなく西側に神社の境内が見えてくる。この神社、現在は八雲神社となっているが、明治初年の神仏習合の時に天王さまの天王宮だったのを政府が改名させた。鎌倉街道に面していることからも、鎌倉時代からあったとされている。
鳥居には安永7年(1778)3月の造立年があり、當村氏子中と書かれている。本殿は文久3年(1867)に再建築されたらしく、そのすぐ後に天王宮から八雲神社に変わったことになる。神社の東北角の向かいに板碑がある。
実は板碑もそれを囲んでいる樹木もレプリカである。元は本物の樹木に抱かれるようにして傷みのひどい板碑が祀られていたらしい。年号は元応元年(1319)霜月とある。後醍醐天皇が即位した翌年である。下部脇には「往生十七ヶ年所奉造立地」とある。
場所 府中市美好町3丁目40-16 map
| 固定リンク | 0
コメント