千川上水石橋供養塔(武蔵野市八幡町)
都心から五日市街道を西進すると吉祥寺の先約3kmで武蔵野大学前の交差点になり、千川上水沿いに南西に方向を変える。この辻は江戸時代からの辻で、かつての五日市街道はここから少し先の柳橋までは上水の南側、それより先は北側を通っていた。千川上水は最初の神田上水、そして玉川上水(1654)の後に掘削された用水路のひとつ。小石川周辺への水の供給を目的に造られた。
五日市街道と千川上水が接続するここには古くから井口橋という橋が架けられており、補修されながら大切に守られてきた。木橋だった橋が石橋に架け替えられたのは天保12年(1841)8月でその時の石橋供養塔が右の背の高い石塔である。千川上水も幕府予算では足らず、民間の私費を加えて完成したので、その主要な家に幕府は「千川」の苗字を与えた。
石橋供養塔の隣りには角柱型の庚申塔も祀られている。文字塔で日月の下に「庚申塔」と刻まれており、造立年は天保11年(1840)2月。「願主」の文字はあるが名前はない。詳細は不明である。造立年が千川上水に石橋を掛けた前年であること、ここが保谷新田と関前村の境であったことからこの辺りに建てられたものだろう。現在は千川上水が武蔵野市と西東京市の市境になっている。
場所 武蔵野市八幡町3丁目8-11 map
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