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2024年3月 9日 (土)

光明院下の石橋供養塔(府中市分梅町)

府中本町駅から西進する都道18号線が京王線をくぐると200mほどで民家脇の駐車場にポツンと立つ石橋供養塔のある場所につく。と言っても歩いているとつい見逃してしまいがちな位置にあるので、分倍碑のある変形交差点の手前というのが目安である。

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民家の生垣の脇、駐車場の端に立つ薄っぺらい片岩の石碑には、「石橋供養塔」と大きく彫られている。造立年は慶応4年(1868)3月とあるが、この半年後には江戸時代が終焉し明治時代に変わるという激動の時代である。

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右下には「常久邑 願主 関田勘右衛門 世話人 分梅中」と書かれている。左側には「玉河や 和らきあひし 石の橋 かたく世わたる 分ばいの里 勇月」という句が刻まれていた。日野橋の下流で取水した用水は谷保、西府と流れ、都道18号線の筋を流れ府中本町駅から現在の競馬場方面に流れていた。

場所  府中市分梅町1丁目27-3  map

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