« 長福寺の石仏(府中市宮西町) | トップページ | 円住院の石仏(狛江市駒井町) »

2024年3月21日 (木)

慶岸寺境内の石仏(狛江市岩戸北)

慶岸寺は浄土宗の寺院で、世田谷通りの近くにある。創建は江戸時代初期で村民によるもの。かつては津久井道と呼ばれた世田谷通りは成城の河岸段丘を下ると野川を渡り、慶岸寺前。この辺りは岩戸と呼ばれた土地で今も岩戸北という住居表示である。慶岸寺前には昔は多摩川を取水した六郷用水が流れており、次太夫堀公園を経て大田区まで水を供給していた。

Dscn5936

岩戸村では南の寺=明静院で、北の寺=慶岸寺というのが土地の区分けだったという。山門の手前にはかなり摩滅の進んだ庚申塔が立っているが、花を欠いたことがない。おそらく江戸時代中期のものだと推測できるが、青面金剛像と三猿の痕跡しか確認できないほど摩滅が進んでいる。この慶岸寺門前の庚申塔については別述している。

Dscn5938

残念ながら文字はほとんど読めない。狛江市の資料にも摩滅が酷くて不詳と記されている。庚申塔を拝んでから境内に入る。本堂の左手に地蔵堂と墓所への入口がある。その脇からは世田谷通りに抜けられる。訪問時外国人女性が同じ石仏を見ていた。私がいろいろ調べているというと多くの質問をしてきたが、共通言語は英語だけでかつお互いにそれほど流暢ではない。地蔵の説明などに四苦八苦した。

Dscn5940

説明の題材になった六地蔵だが、丸彫の六地蔵で、造立年は安永10年(1781)2月と(資料によると)ある。実際の文字は見つけられなかったが、「女中念仏講  奉▢▢六地蔵尊 武州多摩郡岩戸村」とも書かれているらしい。

Dscn5941

六地蔵の向かいにある覆屋は溶けた石仏が複数並んでいる。この中央の地蔵は「塩地蔵」あるいは「塩なめ地蔵」と呼ばれ、横の溶けたような石仏の痕跡は先代の塩地蔵だろう。中央の地蔵はかつて世田谷通りの二の橋近くにあった魚屋の稲毛屋さんの西に在ったが、戦前に道路拡張でここに移設されたということが分かっている。

Dscn5945

墓所の入口に祀られていた2基の舟型の石仏が古いもの。右の舟型光背型の聖観音像は寛文2年(1662)2月。「奉造立念仏供養為二世安楽也 岩戸村同行廿六人」と刻まれている。左の地蔵菩薩は狛江市指定文化財になっている庚申地蔵である。造立年はおなじく寛文2年(1662)2月。「奉造立庚申之歳供養為二世安楽也」「慶岸寺施主八人岩戸村」などの文字が刻まれている。

場所  狛江市岩戸北4丁目15-8  map

| |

« 長福寺の石仏(府中市宮西町) | トップページ | 円住院の石仏(狛江市駒井町) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 長福寺の石仏(府中市宮西町) | トップページ | 円住院の石仏(狛江市駒井町) »