高安寺の石仏(府中市片町)
府中市片町にある高安寺はかなりの古刹である。元は初期の坂東武士であった藤原秀郷(890頃~958頃)の館城で、秀郷は藤原鎌足の七代目。平将門を討った武将として知られている栃木県の武士だが、武士のはじまりのひとりとされる下野国の国司である。その館城を鎌倉幕府滅亡後に足利尊氏が全国に建立した安国寺のひとつとして再建したのが始まり。当時は臨済宗寺院だったが、江戸時代初期に曹洞宗に代わっている。
昔は今の何倍もの広さがある伽藍であったようだが、今でもその片鱗は残る。本堂裏手にある秀郷稲荷の脇の崖を下りていくと、「弁慶の硯井戸」がある。かつて武蔵坊弁慶がここの湧水で墨を磨り文を書いたといい、暫くの間弁慶もここに住んでいたらしい。
本堂手前にある無縁仏群の中央には角柱型の三界万霊塔があり、その両脇に古い石仏が主尊として祀られている。左の舟型光背型の如意輪観音像は、元禄2年(1689)霜月の造立で、「武州多麻郡府中番場町善信女、奉造立念仏講衆、為頓証菩提也」と書かれ、下部には同行33人とある。右の舟型光背型の地蔵菩薩像はもう少し古く、天和2年(1682)中秋の紀年がある。こちらは「武州多麻郡府中領番場宿同行23人」「奉造立念仏講衆為顕証菩提也」と刻まれている。
入口に近いところに観音堂があるが、その前に地蔵菩薩の堂宇がある。延命地蔵尊の旗が複数はためいているが、主尊の丸彫の地蔵菩薩は享保8年(1723)の造立年が刻まれている。この地蔵については府中市の資料にも載っていなかったが、高安寺は意外に古いものがさりげなくある。
場所 府中市片町2丁目4-1 map
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