立野の庚申堂(西東京市保谷町)
古い人間なのか未だに西東京市という名前に違和感を覚える。田無市と保谷市の方がしっくりくる。西武柳沢駅の北東に西武柳沢駅東という五差路の交差点があり、その一角に庚申堂が立つ。南北に延びるのは伏見稲荷通りで江戸時代からの古道、東西に交差するのは富士街道あるいは大山道と呼ばれた古道で、ここは江戸時代からの辻である。
右にあるのが笠付角柱型の庚申塔。笠は一部欠損している。基壇の石は別ものらしい。宝永6年(1709)7月の造立年があり、「奉造立庚申供養二世安楽所」「武州新倉郡上保谷村」と刻まれている。願主名には日留間姓、名護姓、北島姓がみられ、南の島からの移住者かと思ったが、恐らくそうではないだろう。
左の櫛型角柱型の石塔は大乗妙典供養塔である。造立年は享保5年(1720)10月で、「奉納大乗妙典六十六部日本廻国所」とあり、脇に「武刕新庫(倉)郡上保谷村」の文字がある。「天下泰平国土安全」は大乗妙典供養塔には高い確率で記載される文字。保谷市の資料を見ると、昔は屋根だけの覆屋だったようだ。堂内には寄付者名の書かれた板があり三面に及ぶ。
場所 西東京市保谷町3丁目8-10 map
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