更新橋の庚申塔(武蔵野市緑町)
千川上水は元禄9年(1696)に水戸藩小石川御殿、湯島聖堂、上野寛永寺、浅草浅草寺への給水を目的に玉川上水から分水された用水路で、本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などの町にも給水された。宝永4年(1707)になると流域の練馬周辺の村々からの利水の嘆願が起こり、村々へも農業用水として利用されるようになった。
千川上水に架かる更新橋のたもとに堂宇がある。本来千川上水の流れは練馬区関町南に属するはずだが、この堂宇の管轄はなぜか武蔵野市緑町となっている。史料についても、練馬区の資料にはここの庚申塔は取り上げられていない。また庚申堂ならば庚申橋となるところが、なぜ「更新橋」なのかも疑問がある。謎の多い場所である。ただ明治大正期の地図を見てみると、町村境界が用水の北側にある時代もある。
堂宇は施錠されていて、格子の隙間から庚申塔を拝む。堂内には3基の庚申塔があった。中央にある大きな駒型の庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄らしい。前掛けで見えない。造立年は安永4年(1775)11月で、「武刕多摩郡」の銘の他、「右 府中道」「左 深大寺道」とあり道標も兼ねていたようだ。
左脇にある舟型光背型の石仏も庚申塔らしく青面金剛の顔が見える。その下は確認できない。時代的には少し新しいもののような感じがある。
右側には小さな水鉢と、その後ろに角柱型の庚申塔がある。小さいものである。これも青面金剛像は見てとれるが、胴から下がどうなっているのかは分からない。一番大きな庚申塔については、堂宇の前に在る説明板には、「もとは三郡橋(今は無い)の傍らにあった」とあり、「正面には天下泰平の文字があり、側面には西窪村の下田伊右衛門他の銘、正面下部には吉祥寺村片居木清▢他の銘があり、この庚申塔は西窪村と吉祥寺村の共作である」と記されている。
場所 武蔵野市緑町3丁目2番地先 map
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