大日如来墓石(西東京市東伏見)
多摩地区を西に延びる青梅街道が、西東京市に入ると東伏見という町名になる。興味深いのは西東京市に入ると「東伏見坂上」という名前の交差点があること。さてはここから西に下って東伏見稲荷の先の石神井川上流の青梅街道橋までを東伏見坂と呼ぶのかという考えが浮かんだ。しかし調べてみても命名された坂道としてはない。ただ坂上と橋との標高差は9mほどあるので、物理的な坂ではある。堂宇の辺りの古い地名は上保谷村下野谷である。
この東伏見坂上に大きなケヤキの木と共に堂宇がある。ジープのディーラーの隣りである。堂宇の前には複数の燈籠もあり、格子の間から中を覗いてみる。堂内には笠付角柱型の石仏があった。天保3年(1832)11月造立の大日如来像である。資料によると、願主は保谷以左、施主は保谷源蔵で、角柱上部に大日如来が陽刻され、その下に男性女性各一人の戒名と文政9年(1826)11月の没年月があるようだ。
おそらくは夫婦であろう。施主は保谷家の子孫。元は青梅街道に面して雨露にさらされていたが、当主保谷源蔵氏の祖父源五郎が小祠を建てたという。保谷家は元々練馬の三宝寺の檀家で、大日如来を本尊としてきたらしい。この石仏が、後年保谷市内や練馬の大泉あたりまでの信者がついて参詣されていたという。
場所 西東京市東伏見3丁目8-16 map
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