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2024年4月24日 (水)

関前橋の庚申塔(武蔵野市八幡町)

武蔵野市西部の南北を走る伏見通り。東伏見稲荷神社に由来する通り名だが、西武新宿線と東伏見公園をアンダーパスで抜けるようにトンネルが掘られ、渋滞が少なくなった。伏見通りと青梅街道の東伏見交差点から400mほど南に、伏見通りが千川上水を渡る関前橋がある。この南西角にやや広い庚申堂の敷地がある。

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庚申堂の左脇に由来碑が立っている。この由来碑は春風亭柳昇(春風亭昇太の師匠)が建てたものでここは柳昇の秋本家の土地であったらしい。春風亭柳昇の五代前の建てた秋本家個人のものだったが、疫病が流行し人々が庚申様にお祈りをするようになって信仰を得た。元の場所は現在地とは違っていたが、中島飛行機の工場を建てるにあたり、昭和13年頃こちらに移設されたという。

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堂宇の左にある由来碑のさらに左側に真新しい背丈ほどもある角柱があるが、これは新しい庚申塔で、正面には「庚申塔者為所願成就祈願也」とあり、「施主庚申講中」と書かれている。造立年は昭和61年(1986)1月、柳昇の建てた庚申碑が昭和57年だからそれよりも後である。一方堂宇内にはシンプルな角柱型の庚申塔が祀られている。こちらは文化10年(1813)11月の造立で、「願主 紋左ヱ門」とあるのが、春風亭柳昇の6代前のご先祖である。

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堂宇の右手には2基の石仏がある。どちらも馬頭観音で、左は「〇保〇年〇卯」の字がかろうじて読めるので、天保2年(1831)だろうか。側面に「施主秋本〇〇」の文字がある。右の馬頭観音は紀年等はほとんど読めないが、側面の願主名に「秋本〇〇」「西林〇〇」の銘が見える。これらも秋本家に関係するものなのだろう。

場所  武蔵野市八幡町4丁目14-2  map

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