泉龍寺の石仏(狛江市元和泉)
小田急線狛江駅北口の駅前に在る泉龍寺は、奈良東大寺の別当良弁僧正が天平神護元年(765)にこの地を訪れたのが始まりで、天暦3年(949)には天台宗の寺院となったとされる。中世の戦乱で荒廃したが、安土桃山時代末期の天正18年(1590)に曹洞宗の寺院として再建した。本堂は宝永3年(1706)築、鐘楼門は天保15年(1844)築と貴重な建築である。
境内の空間は駅前とは思えないほど静寂で、山奥の寺院のような雰囲気がある。山門をくぐると正面に鐘楼門、その先に本堂がある。本堂までの参道の左右に多数の石仏が祀られている。
本堂に向かって最初に右側にあるのが笠付角柱型の廻国供養塔である。なかなか大きいもので1.5mほどの高さがある。正面には「有縁無縁三界万霊等」とあり、右面は「奉納大乗妙典六拾六部所願成就為師之」、裏には「武州多麻郡泉村拾人・・・」とあり、造立年は宝永4年(1707)10月とある。
その先にあるのは六地蔵と主尊。主尊は台石と合致しているのかは不明だが、台石には「奉納六十六部供養」「願主 泉村 石井佐平次敬白」と書かれ、造立年は元文2年(1737)11月。六地蔵は宝暦6年(1756)11月の造立で、右から畜生道、餓鬼道、地獄道、修羅道、人道、天道と並んでいる。
参道の反対側にはさらに多くの石仏が並んでおり、手前から四番目が駒型の庚申塔。造立年は貞享3年(1686)10月と古いもので、主尊がまだ青面金剛になりきっていない時代であったためか、上部に日月があり烏帽子着衣の合掌一猿像が主尊である。「武州多麻郡泉村 同行廿人」と刻まれている。右の舟型の地蔵菩薩は上部が欠損、造立年は元禄元年(1688)10月とこれも古い。「奉造立這箇尊像念仏講供養」の文字がある。
その先にある丸彫の地蔵菩薩像は享保19年(1734)10月の紀年がある。「念仏供養」「講中男女42人」「武列多麻郡泉村 願主谷田部某」の銘がある。右の角柱型の石塔は寛政4年(1792)3月の読誦塔。正面には「奉読誦普門品供養塔」と書かれている。左側に「武州多麻郡和泉村 本願主 荒井新右衛門」の銘がある。江戸時代は「多摩郡」を「多麻郡」と書いたものが狛江には多い。
その隣にある櫛型角柱型の石塔は主尊が欠損しているが聖観音と思われる。側面には願主名が刻まれている。右の丸彫の地蔵菩薩像は背中に寛文7年(1667)正月という紀年が刻まれており、泉龍寺の石仏でも最も古いもののひとつ。背中に「為宝珠院殿梅林貞香大姉増長仏是也」と書かれている。
本堂の左手、墓所の手前にあったのが地蔵菩薩坐像。正面には「有縁無縁三界万霊塔」とある。造立年は文化11年(1814)8月。施主については泉龍寺の僧侶のようである。
最後は比較的新しいものだが、東京都内にも10基あるかどうかという草木供養塔。最近植木組合などによって徐々に増えてきたが、これは昭和61年(1986)4月に狛江造園組合によって建てられたものである。資料によるとまだまだ墓所にも古い石仏が沢山あるようだが、さすがに墓所は今回は遠慮させていただいた。
場所 狛江市元和泉1丁目6-1 map
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