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2024年6月17日 (月)

油面高地蔵(目黒区目黒)

目黒通りの油面(あぶらめん)交差点で知られる油面の地名は、この辺り一帯が菜種の栽培地で、生産された菜種油は芝増上寺や祐天寺の燈明に使われていた。そのおかげで油の生産業種に対して免税が行われ、「油免」が「油面」に転じたらしい。また面という文字には村の意味もあるようで、油の取れる村の意も兼ねていたと言われる。

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油面交差点から西に進む道は油面地蔵通りという通り名だが、その由来がこの高地蔵である。現場には「油面子育地蔵尊」とあった。昔この地蔵菩薩は目黒通り(昔の二子道)近くの小高い角地にあった。目黒通りの拡幅に現在地に移転を余儀なくされたのだが、目黒通りにあった頃は基壇が長く2mほどの高さがあったので「高地蔵」と呼ばれた。

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堂宇の外にあるこの石柱が昔の基壇のようだ。正面には「南無阿弥陀仏」とあり下部に「祐天寺道」とある。左には「是より左 九ほんぶつ道」、右には「是より右 ゆうてんじ」とある。堂宇に入れるために、基壇であったこの石塔と、現在の基壇である「六十六部供養」と書かれた石塔を入れ替えたのだろうか。

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造立年については目黒区の資料によると、「・・丙戌五月・・」とあるので、宝永3年(1706)明和3年(1766)文政9年(1826)のどれかだろうとしている。ただ台石には享保18年(1733)7月の紀年があるらしい。この地蔵が目黒区に面して角に立っているとすると、道標の九品仏方面と祐天寺方面は合点する。

場所  目黒区目黒4丁目26-15

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2024年6月15日 (土)

栗山家馬頭観音(目黒区自由が丘)

目黒区自由が丘は昭和中期から近年に渡ってトレンドの舳先にあり続ける街と言えるだろう。昭和後期には松田聖子らのタレントを街で見かけることもあったり、シナボンという外食チェーンの2号線が吉祥寺に続いて開店したりしたが、どちらも2,3年で閉店した。自由が丘駅が開業したのは昭和の初め、当時は九品仏駅という駅名で、2年後に自由ヶ丘駅に改称した。

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そんなオシャレな街の一画にひっそりと守られている石仏もあり、最も駅に近いのが熊野神社の庚申塔。次がこの栗山家の馬頭観音である。自由が丘駅からは数百m離れている。この辺りは昔は谷畑と呼ばれた土地で、谷畑坂の坂名にも残っている。谷畑は少し小高い台地上で、現在駅がある辺りは大正期までは川の周りの田んぼエリアだった。

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駒形の馬頭観音は、大正11年(1922)8月の造立。栗山家はもとは衾村の名家で、江戸時代は代々「年寄」という名主や庄屋を補佐する村の重要な役職を務めた家であった。栗山家のかつての古民家は碑文谷のすずめのお宿緑地公園内に移築されている。

場所  目黒区自由が丘2丁目6-19  

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2024年6月13日 (木)

九品仏名号題目道標(目黒区自由が丘)

東急東横線自由が丘駅の北西700mの通り沿いに覆屋があり、立派な道標付の石仏が納まっている。光背の大きな邸宅の前庭に堂宇を建てて納められているようだ。南から上ってきた谷畑坂の坂上にあたる場所である。

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正面にまず見えるのは赤文字で「左 九品仏江」という文字だが脇の・・・は何を意味するのか不明。右側側面には「南無妙法蓮華経」と大きく書かれ、左側面には「南無阿弥陀仏」と同じような大きな文字で刻まれている。

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上部に乗っかっているのは地蔵半跏像だろうか。造立年がないかと後ろ面を見てみると、寛保4年(1744)12月と刻まれていた。この場所は九品仏浄真寺の700mほど北東にあたる。確かにこの道標を正面に見て左に進むと九品仏に至る。等々力と衾村を結ぶ目黒道(二子道)から浄心寺に向かう道の道標として建てられたものだろう。

場所  目黒区自由が丘3丁目1  

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2024年6月11日 (火)

東光寺の石仏(目黒区八雲)

目黒区八雲にある東光寺には隣の常円寺とペアの大銀杏がある。常円寺の銀杏は幹回り4m、樹高25mの雌株で、東光寺の銀杏は雌株である。東京には有名な銀杏の樹が多い。火事の街でもあった江戸で焼け残る強い銀杏に対する尊敬の念もあったのだろう。

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東光寺は貞治4年(1365)の創建で、世田谷城主吉良治家が早世した息子の供養に建てた寺院。当時は臨済宗だったが、江戸時代に入ってからは曹洞宗に変わった。目黒通りは現在の幹線道路だが、一本裏手の東光寺寄りの曲がった八雲通りがかつての鎌倉街道、江戸時代は目黒道と呼ばれた旧道で、八雲通りには常円寺と東光寺の入口がある。この辺りがかつての衾村の中心地であった場所で、二寺と八雲神社を中心に人々が住んでいた。

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東光寺門前には堂宇があり立派な丸彫の地蔵菩薩像が祀られている。寺伝によると造立年は元禄15年(1702)9月と伝えられる。基壇の蓮には願主名が刻まれており、時代を経たなかなかの地蔵菩薩である。

場所  目黒区八雲1丁目9-11  map

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2024年6月 9日 (日)

常円寺の石仏(目黒区八雲)

目黒区八雲にある常円寺は日蓮宗の寺院。昔はこの辺りは衾(ふすま)村という地名。常円寺の東に走る柿の木坂通りは向かいの北野天神に因んで天神坂と呼ばれた。天神坂のページで常円寺の大銀杏のことを書いた。

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日蓮宗常円寺の創建は天正18年(1590)。前述の大銀杏は目黒区の保存樹木の第一号。日蓮宗の寺院には石仏は多くないのだが、ここには貴重な地蔵がある。境内の墓地入口に小堂があり、その中に2基の地蔵菩薩が祀られている。

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右の丸彫の地蔵座像は年不詳だが、おそらくは江戸時代中期のものだろう。左の顔だけの地蔵菩薩は、かつて広島市細工町の西蓮寺という寺院にあった子育地蔵で、昭和20年(1945)8月6日の広島市原爆投下で破壊されてしまったもの。爆心地から100mほどの場所だったらしい。その後縁があって目黒区の村山氏によって目黒区に移され、毎年8月6日には法要が行われる。

場所  目黒区八雲1丁目2-10  map

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2024年6月 7日 (金)

市役所通りの石仏群(稲城市東長沼)

JR南武線稲城長沼駅の東側を南北に通る市役所通りの北の端は川崎街道との辻。実は稲城市役所までは800m以上あり、市役所通りはここから市役所前まで続いている。昭和中期までは旧川崎街道が主要道で、この辻は街道筋の要衝であった。

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石仏群は現在は川崎街道ではなく市役所通りに面して並んでいる。一番右手前にある笠付の大きな石柱は、「石尊大権現・青沼大権現」と記されたもので、石尊大権現は大山信仰に基づく神仏習合の神、青沼大権現は水田に関わる神様らしい。造立年は寛政6年(1794)11月で「村中」の銘。右側には「秋葉山大権現」ともあり、これはやはり火事の神様だろう。さらに裏面には「小御岳大権現、榛名山大権現」とあり、この石塔はおそらくは燈籠だったと思う。

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もっとも大きな中央の櫛型角柱型の石橋供養塔だが、造立年は安永10年(1781)2月。「武州多摩郡小沢庄長沼村願主惣村」とある。文字を読んでみたが神仏習合でいろんな信仰が混じり合ったような偈文が書かれている。石橋供養塔の右側には庚申塔、左側には馬頭観音が並んでいる。

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左の馬頭観音は3基。左後ろの角柱型の馬頭観音は明治24年(1891)3月のもので、左面には願主篠𥔎孫右衛門の銘がある。中央手前の馬頭観音は文字がほとんど消えているが、側面に明治29年(1896)5月の造立年がある。右奥も馬頭観音と思われるが摩滅が進みすぎて詳細は不詳。

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石橋供養塔右手前にある2つの石仏はともに庚申塔である。左の小さい方は駒型の文字塔で、上部に日月があり、「奉造立庚申供(養)」の文字、その左右に享保5年(1720)10月の造立年と、「武刕多摩郡府中領・・」の文字がある。右の上部欠損した庚申塔はおそらくは舟型だったように見える。青面金剛像と三猿が確認でき、右に「庚申供養所」、左に元禄5年(1692)2月の造立年と、「武刕多摩郡長沼村」の銘が見られる。また「高雄山七里八丁」とあるのは高尾山か。反対側には「大山道」とある。

場所  稲城市東長沼590  map

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2024年6月 5日 (水)

上新田の庚申堂(稲城市大丸)

多摩川右岸の古道である旧川崎街道を川下方向に歩いていると、赤い堂宇の前に鳥居のある神社のような建物がある。頑丈な二重扉になっていて大きな閂(かんぬき)があり施錠されている。と思ったら閂を止めている南京錠は閉じていなかった。しかし開けるのは忍びないのでそのまま拝観した。

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鳥居は新しいものだが、鳥居の右後ろにある手水鉢は明治34年(1901)の紀年があった。赤い堂宇の前には大きな香炉台があり、その香炉台の正面には三猿が彫り込まれている。

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この香炉台は昭和9年(1934)のものらしい。三猿が陰刻風に彫られているのと上部の香炉台の直線基調がアンバランスで面白い。香炉台には稲城市東長沼の銘もあるようだ。

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格子の隙間から庚申塔を撮影しようとしても奥の格子が邪魔してうまく撮れなかったが、資料に依ると駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄。造立年は享保11年(1726)で「奉供養庚申 大丸村」の銘があるようだ。

場所  稲城市大丸173  map

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2024年6月 3日 (月)

上新田の庚申塔(稲城市大丸)

幹線道路の川崎街道(県道9号線)と並走するのはJR南武線で、その南武線と絡み合うように多摩川の下流に向かって繋がっているのが昔からの川崎街道。府中街道とか八王子道の別名がある。この道すがらにはいくつもの石仏石塔がある。

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稲城長沼駅の北西の旧川崎街道の丁字路の駐車場脇に、極めて立派な土台の上に載った小さな駒型庚申塔がある。摩滅が甚だしくて文字は全く読めない。日月、青面金剛像、三猿の面影がわかる。造立年は当然分からない。ここから先、川崎方面に向かってはこの旧川崎街道沿いに数百メートルおきに石仏がある。

場所  稲城市大丸236  map

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2024年6月 1日 (土)

山崎通りの石仏(稲城市大丸)

円照寺前から山裾を南東に向かう道が山崎通り。古くから丘陵の裾に延びる道である。近年宅地開発が進み丘陵の上は向陽台という大きな街になっているが、1980年頃までは丸々山であった。低地の山崎地区から斜面を登って向陽台に向かう天神山通りと、山崎通りが交差するところに小さな墓所がある。

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以前はいささか鬱蒼とした雰囲気の崖に切り開かれた墓地だったが、最近とてもきれいに改修された。まるで新築民家のようなフェンスの裏側には小さな墓苑がある。階段を上ると左側にある御影石の堂宇に、地蔵菩薩と庚申塔が祀られている。ここに地蔵と庚申塔が祀られた経緯が下部にあり、「道路拡大小路の為稲城市より償金を受取り善意と信仰により須恵ハツエ氏の協力を得てこの地に地蔵堂を再建し供用する(昭和40年5月)」とあるが、これは以前の木造の堂宇のことだろう。左端に「令和6年春彼岸改修」とあるのがこの御影石の堂宇にした時だと思われる。

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庚申塔は舟型光背型で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は元文5年(1740)3月、「奉建立庚申供養」の文字と「武刕多摩郡大丸村」の銘がある。庚申塔の下の基壇は実は右の丸彫地蔵菩薩の基壇であったもので、堂宇をこじんまりとしたのでこういう組み合わせになったようだ。その基壇には享保12年(1727)3月の造立年と文字が見える。「奉霊〇〇地蔵〇〇・・・念仏講中」とあり、ゼニゴケで読み取れない。資料に依ると「奉造立地蔵大菩薩二世安楽 武州多摩郡大丸村念佛講中」と書かれているようだ。

場所  稲城市大丸68  map

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