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2024年7月14日 (日)

あかさか庚申塔(稲城市百村)

普寛神社から三沢川下流方向に進み松の台通りに出てから広めの坂道を下る途中、川側にある民家の玄関前に堂宇がある。堂宇の中には庚申塔が祀られている。

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防風林のような森に囲まれた民家の道路側にはトタン屋根を突き抜けた樹木(シラカシっぽい)の根元に堂宇があるのが面白い。おそらく松の台通りの坂道を地元では赤坂と呼んでいたのだろう。

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堂宇の中には笠付角柱型の庚申塔が祀られている。かなり風化が進んでいるが、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄のようだ。かなり摩滅していて邪鬼と三猿は痕跡のみ。剥離した右側面には文化6年(1809)11月の造立年があったらしい。右側面には「武州多摩郡百村」の文字、台石には前面側面に願主名がたくさん書かれている。

場所  稲城市百村1127

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2024年7月11日 (木)

普寛神社の石仏(稲城市百村)

稲城市百村を流れる三沢川、その左岸は山の斜面になっているが、山の斜面を登る道は古くからあり、今は松の台通りという通り名になっている。三沢川沿いの車道が出来る以前はこの松の台通りから分岐した道が鶴巻への道であった。松の台通りから分岐してすぐに鬱蒼とした林の間を通る。その中にあったのが普寛神社。昔の地図では鳥居ではなく卍マークになっている。

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普寛神社(普寛教会)というのは稲城市で明治時代に始まった御嶽講の集団。「普寛神宮」と書かれた鳥居があるが「普寛教会本部」という石柱もあり、修験者の興した講中らしい不可思議な雰囲気がある。御嶽講は木曽御嶽山信仰のひとつ。

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鳥居の脇を左手に進むと石仏が並んでいる。一番右の小さな石仏は舟型光背型の庚申塔で、日月、青面金剛、三猿が描かれている。造立年は元禄11年(1698)11月で、青面金剛の上に「奉造立」、脇に「庚申待供養二世安楽祈」とあり、武州多摩郡百村同行六人の銘がある。隣りの角柱型の石塔は享和3年(1803)8月造立の大乗妙典六十六部日本廻国供養塔。武州多摩郡百村の銘がある。ひときわ大きな笠付角柱型の庚申塔は嘉永元年(1848)11月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。左手にはショケラが下がる。「多摩郡百村」の文字がある。

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道路側に並んでいる板碑2枚のうち左の板碑はほぼ文字が読めない。上下欠となっているが、資料にも見当たらない。右の上部だけが残っている板碑は、暦應2年(1341)のもので弥陀三尊の種子がある。ちなみに百村は昔、三沢川より北側を川北、南側を川南と呼んでいた。

場所  稲城市百村202

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2024年7月 8日 (月)

北辰妙見尊の石仏(稲城市百村)

妙見寺の参道から分岐して急登する山道を上っていくと北辰妙見尊に至る。山の頂上にある妙見様の標高は95mほど、参道入口からは約50mの高低差がある。妙見菩薩は物理的な立ち位置を示してくれる北極星と同じとされる。鎌倉幕府の御家人である千葉氏は関東に妙見信仰を広めた。北辰=妙見である。

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峯の山道を登り始めてすぐに妙見寺に下りる道を分岐する。ちょっと道草して妙見寺の方に下りてみると、坂の下の方にいくつかの角柱石仏が転がっている。半分は山土に埋もれているが、一基のみはっきりと馬頭観音と分る。明治14年(1881)10月造立の馬頭観音で、側面に願主石井弥五郎の銘がある。

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ここから再び峰の道に戻る。間もなく妙見尊の階段への入口があり、鳥居がある。ここは東京都指定無形文化財の「百村の蛇より行事」という儀式が行われる場所。寛文2年(1662)に疫病が流行した時に始まった。毎年北斗七星になぞらえた百村の村民の中の7人が、萱場から萱を借り出して村人が集まって大蛇を撚り上げると、50m~100mの蛇の姿になる。こんな行事が行われるのがこの鳥居の脇である。

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萱の大蛇の儀式が行われる折に、蛇の頭はこの二十三夜塔のところに置き、胴体は石段を上って山上の社殿に延びていくらしい。この二十三夜塔は自然石の石塔で天保7年(1836)10月に造立されている。裏には紀年と妙見寺良善代建之の文字がある。台石には正面に講中の文字があり、側面には多数の名前が刻まれている。

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少し上にあったのがこの石坂供養塔。造立は文化7年(1810)11月で、かなり風化が進んでいる。坪内源五郎という名前が見られるのと、台石に惣村中の文字がある。

場所  稲城市百村1620

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2024年7月 5日 (金)

妙見寺の石仏(稲城市百村)

稲城市百村(もむら)にある妙見寺は天台宗の寺院。創建は不詳ながら、天平宝字4年(760)あるいは天永3年(1112)などの説があり、山上の妙見尊を含めて古くからこの地に根付いた寺院である。場所は京王相模原線の稲城駅から西へ向かい、武蔵野貨物線と京王線をくぐったところが入口になる。武蔵野貨物線は殆ど地上に姿を見せない上に、ここでは京王線との交差という珍しい場所。

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真っ直ぐ参道の坂道を上っていく。線路からは標高15m以上を上がって行く。途中左に妙見尊への山道が分岐する。まっすぐに進むと妙見寺の山門がある。立派な山門である。山門をくぐると右手に本堂がある。

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本堂とは反対の妙見尊の山の側にいくつかの石仏が集められている。奥にあったのは、2基の庚申塔。左の笠付角柱型の庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、宝暦12年(1762)10月の造立年がある。右側面には「武州多摩郡百村庚申待講中」と書かれている。右の駒型の庚申塔の方が古く、寛延4年(1751)10月の造立。こちらは日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。「奉造立庚申供養」の文字がある。

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庚申塔の手前にあるのがこの丸彫の地蔵菩薩坐像。台石の左に文化13年(1816)の造立年と「施主 松本和助」の文字、右面には女性の戒名と「俗名 武兵衛妻 行年75才 いち」とある。しかし前面には「四国西国坂東秩父 供養塔」の文字があり、墓石ではなさそうである。

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その近くにあったこの舟型光背型の地蔵菩薩像は戒名の書かれた墓石だが、紀年を見ると寛文12年(1672)11月と刻まれている。江戸時代の初期のものであるが、状態はかなり良い。

場所  稲城市百村1588

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2024年7月 3日 (水)

威光寺の石仏(稲城市矢野口)

稲城市矢野口にある威光寺は真言宗の寺院。創建年代は不詳だが1600年頃とされる。以前有名だったのは境内の弁天洞窟で、照明もなくとても雰囲気のある洞窟だったらしいが、現在は閉鎖されている。

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威光寺の後背は山である。その斜面の横穴墓(古墳)に洞窟を掘ったのは明治時代の初めで、神仏分離令のあとに出来たもの。戦時中は防空壕にもなったのだろう。素晴らしいものらしいので再公開されたらぜひ拝観したいものである。ちなみに威光寺の参道入口の標高が45mで、後背の山は103mある。斜面には墓所が広がっている。

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本堂前には5基の石仏石塔が並ぶ。一番左は弘法大師の座像で造立年は不詳。「奉造立弘法大師尊像」とあり、昭和4年5月の紀年と昭和9年の紀年があるから、昭和初期のものであろう。四国霊場の巡拝記念の供養塔である。左から二番目は「陸軍血清馬如来塔」と書かれたもので、昭和20年(1945)7月、南多摩郡稲城村矢野口 小沢粂五郎建之とある。中央は後述の庚申六面幢。右から2番目は「鶏霊供養碑」とあり、昭和39年(1964)秋彼岸建之とある。鶏の供養塔は珍しい。一番右は丸彫の地蔵菩薩で、昭和19年(1944)6月の建立である。

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中央の庚申幢はとても珍しいもので、笠付の六角幢になっている。正面には「奉供養庚申待為現当二世悉地成就攸」と書かれ、脇に貞永元年(1684)12月の造立年がある。藤原能成(よしなり)というのが願主名。この庚申塔は、昭和13年頃、寺の近くの山頂の塚にあったものを寺内に移転したという。藤原能成という人物は江戸時代初期にこの辺りの領主であった旗本、加藤太郎左衛門能成とされている。

場所  稲城市矢野口2411

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2024年7月 1日 (月)

威光寺入口の庚申塔(稲城市矢野口)

京王よみうりランド駅前から太夫坂を上る。かつては大山道であった道は快適な車道になっている。傾斜は切土盛土で緩やかになっているものの、徒歩で上るのは少し難儀である。丘の向こうによみうりランドの観覧車が覗いている。

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威光時の入口に堂宇がある。この庚申堂を目印に左に曲がると威光寺の参道に入る。堂宇の側面には堂宇を移転修理した時の奉納者名が書かれており、平成31年(2019)2月の紀年がある。見た感じの堂宇は2,30年は経っていそうな様子だが、雨風が厳しいのだろう。実はそれ以前は道路向きではなく、観覧車の方向に向かって堂宇が建っていた。

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堂宇の中には笠付角柱型の庚申塔があるが、格子を通してなので一部しか写らない。日月、青面金剛像、三猿が描かれており、側面には明和元年(1764)12月の造立年。また「武州多摩郡矢野口村根方講中」の銘がある。根方は京王よみうりランド駅周辺の昔の地名。ここから山越えで津久井道に向かうプチ難所だったと思われる。

場所  稲城市矢野口2410

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