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2024年8月 1日 (木)

菅堀の石橋供養塔(稲城市矢野口)

府中街道(川崎街道)と多摩川原橋を渡る都道19号線の交差する矢野口交差点の少し登戸寄りに一部用水路が暗渠から開渠になるところがある。菅堀といい、大丸用水の一部で、府中街道は昔からの街道筋と変わっていないがその街道脇に掘られた用水路である。二ヶ領用水などと同じ江戸時代初期に掘削されたようだが詳しくは分かっていない。

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菅堀の脇の植込みに立っているのが石橋供養塔。大丸用水は九ヶ村組合(大丸村、長沼村、押立村、矢野口村、中野島村、菅村、上菅生村、五反田村、登戸村)によって管理されていたが、村同士の水争いは絶えなかったようだ。用水路とはいえ昔は相当な水量があり、橋がないと到底渡ることが出来ないほどだった。府中街道と交差するこの弁天通りは江戸時代からの古道で、ここにきちんとした橋が架けられたのを記念して建てられたものだろう。

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造立年は文政4年(1821)正月。正面には石橋供養塔とあるが、側面の文字は植込みで見えないので資料を参照。願主は加山八良右衛門とあり、右面には「北 江戸 東 川崎 道」とあるが北は矢野口の渡しを渡って江戸に繋がる意味だろう。左面には「南 大山 西 八王子道」とあるが、この道は大山参詣の道としても使われていた。

場所 稲城市矢野口432

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