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2024年7月23日 (火)

常楽寺の石仏(2)(稲城市東長沼)

稲城市東長沼の常楽寺の続きである。石仏は墓所に上る道の周りに散り散りに祀られている。六地蔵から馬頭観音の前を通り過ぎると、左手の重にの中に稲城市が立てた説明板があり、その下に地蔵菩薩がある。

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舟型光背型の地蔵菩薩像は、庚申講中による建立。この石仏は地蔵菩薩像としても庚申塔としても稲城市で最も古いものである。造立年は寛文4年(1664)3月。「念仏供養想衆十人庚申供養想衆七人」とある。「長沼村下新田」の銘があるので、多摩川の低地に広がる村人たちによるものだろう。

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庚申地蔵から鐘楼の方に行くと、こちらにもいくつかの石仏石塔が並んでいる。手前にあったのが駒型の庚申塔。造立年は元禄9年(1698)3月で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。上部に「奉寄進庚申供養」の文字と、尊像脇には「武州多摩郡小沢庄長沼村」とある。よみうりランドのジャイアンツ球場の近くに小沢城址があるので、鎌倉時代に源頼朝の御家人だった稲毛三郎重成の子である小沢氏がこの辺りを支配していた名残りだろうか。

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その先の草の繁みに埋もれていたのが駒型の庚申塔。宝永7年(1710)3月の造立で、日月、青面金剛像、三猿の図柄はシンプル。「奉造立庚申所願成就」「講中」などの文字が見られる。

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草むらに囲まれていたもう1基の庚申塔は舟型光背型のもの。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、造立年は享保2年(1717)11月。「武州多摩郡長沼村」の銘があった。

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少し高い位置にあり、覆屋に祀られていたのがこの庚申地蔵である。前述の稲城市最古の庚申地蔵に次いで、二番目に古いもので延宝8年(1680)2月の造立。これも庚申講中の絡んだ地蔵菩薩像である。「奉供養庚申 武州玉郡長沼村」の銘があり、下部には願主名が刻まれている。これらのほかにも多くの石仏石塔があったが、ここでは主に地蔵と庚申に絞った。

場所  稲城市東長沼2101

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