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2024年7月 5日 (金)

妙見寺の石仏(稲城市百村)

稲城市百村(もむら)にある妙見寺は天台宗の寺院。創建は不詳ながら、天平宝字4年(760)あるいは天永3年(1112)などの説があり、山上の妙見尊を含めて古くからこの地に根付いた寺院である。場所は京王相模原線の稲城駅から西へ向かい、武蔵野貨物線と京王線をくぐったところが入口になる。武蔵野貨物線は殆ど地上に姿を見せない上に、ここでは京王線との交差という珍しい場所。

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真っ直ぐ参道の坂道を上っていく。線路からは標高15m以上を上がって行く。途中左に妙見尊への山道が分岐する。まっすぐに進むと妙見寺の山門がある。立派な山門である。山門をくぐると右手に本堂がある。

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本堂とは反対の妙見尊の山の側にいくつかの石仏が集められている。奥にあったのは、2基の庚申塔。左の笠付角柱型の庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、宝暦12年(1762)10月の造立年がある。右側面には「武州多摩郡百村庚申待講中」と書かれている。右の駒型の庚申塔の方が古く、寛延4年(1751)10月の造立。こちらは日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。「奉造立庚申供養」の文字がある。

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庚申塔の手前にあるのがこの丸彫の地蔵菩薩坐像。台石の左に文化13年(1816)の造立年と「施主 松本和助」の文字、右面には女性の戒名と「俗名 武兵衛妻 行年75才 いち」とある。しかし前面には「四国西国坂東秩父 供養塔」の文字があり、墓石ではなさそうである。

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その近くにあったこの舟型光背型の地蔵菩薩像は戒名の書かれた墓石だが、紀年を見ると寛文12年(1672)11月と刻まれている。江戸時代の初期のものであるが、状態はかなり良い。

場所  稲城市百村1588

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