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2024年7月 3日 (水)

威光寺の石仏(稲城市矢野口)

稲城市矢野口にある威光寺は真言宗の寺院。創建年代は不詳だが1600年頃とされる。以前有名だったのは境内の弁天洞窟で、照明もなくとても雰囲気のある洞窟だったらしいが、現在は閉鎖されている。

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威光寺の後背は山である。その斜面の横穴墓(古墳)に洞窟を掘ったのは明治時代の初めで、神仏分離令のあとに出来たもの。戦時中は防空壕にもなったのだろう。素晴らしいものらしいので再公開されたらぜひ拝観したいものである。ちなみに威光寺の参道入口の標高が45mで、後背の山は103mある。斜面には墓所が広がっている。

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本堂前には5基の石仏石塔が並ぶ。一番左は弘法大師の座像で造立年は不詳。「奉造立弘法大師尊像」とあり、昭和4年5月の紀年と昭和9年の紀年があるから、昭和初期のものであろう。四国霊場の巡拝記念の供養塔である。左から二番目は「陸軍血清馬如来塔」と書かれたもので、昭和20年(1945)7月、南多摩郡稲城村矢野口 小沢粂五郎建之とある。中央は後述の庚申六面幢。右から2番目は「鶏霊供養碑」とあり、昭和39年(1964)秋彼岸建之とある。鶏の供養塔は珍しい。一番右は丸彫の地蔵菩薩で、昭和19年(1944)6月の建立である。

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中央の庚申幢はとても珍しいもので、笠付の六角幢になっている。正面には「奉供養庚申待為現当二世悉地成就攸」と書かれ、脇に貞永元年(1684)12月の造立年がある。藤原能成(よしなり)というのが願主名。この庚申塔は、昭和13年頃、寺の近くの山頂の塚にあったものを寺内に移転したという。藤原能成という人物は江戸時代初期にこの辺りの領主であった旗本、加藤太郎左衛門能成とされている。

場所  稲城市矢野口2411

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